秩父要素、欠乏症。

ここにきて何かにつけ「自己責任」に方針転換した政府が、13(月)から国民のマスクを外しにかかることを決めたので、感染者数の落ち着いている今のうちに、この週末はこっそり遠出しておくことにした。
この時期、千葉の近隣で梅といえば成田山だが、参道のシンボルだった大野屋旅館の望楼も、梅屋の旧館もここ数年、相次いで解体されてしまい、全く足を運ぶ気にならない。
「失った」景色を目にしてしまうと、ソレを認めたことになりそうで…。

それよりさすがにそろそろ、俺の中で「秩父」が枯渇している。
梅なら日本中、どこに行ったって目にできないこともないだろう*1
とさして期待もせずに調べていたら、かなり本格的な梅林が秩父ミューズパークの北端にあることを偶然知った。
通い慣れ親しんだつもりの秩父も実は、このコロナ騒動もあって2019年7月以来だった。
プランニング、最後まで迷っていたのは出発時間帯。
先日は仕事疲れから、せっかくの平日休みを棒に振ってしまい、結局この週末に決行することになった。
このために往路、朝の電車の混雑は平日ほど気にしなくてよくなった反面、飯能駅から先、ボックスシート車での混雑はできるだけ回避したいわけで。
平日通勤と同じ早朝起床で行っても、なにしろこちらは遠路千葉から駆けつけるので圧倒的に不利。何かと朝が早い登山客とかちあいそうだし、逆に昼近くになれば街歩きの観光客が「現地で昼食」のスケジュールを組んで出歩き始めることだろう。
同じ混雑だとしても(早朝)登山者には暇を持て余している「老害」の割合が高かろうというところまで想像を巡らしたところで、まだしもマシと思われる後者の「波に乗る」ことに腹を決めた。
傍から見たら、俺もすっかり「老害」世代なんだろうが、なにせおひとり様なので、独りごとを呟くことはあっても集団で騒いだりはしない自信はある。

決行当日。5:13 千葉県北西部を震源とする、最大震度3の地震で目が覚めた。
折しも東日本大震災から12年という今日。
旅先で被災、などということになったら…縁起でもないが。
それでもコロナ(感染者数)が沈静化している今、行かなければ、次はいつ行けるかわからない、と思いなおす。
とはいえ出立までにはまだ時間があるので、しっかり二度寝した(ダルい)。

西武新宿線は今やあちこちで地下化・高架化工事が本格化しており、高校時代から長年親しんできた車窓が見るも無残なことになっているので、ここぞとばかり車中惰眠をむさぼる。
乗り合わせたのは20000系。西武の中では個人的に一番乗りたくなかった電車で、シートの構造なのかモケット材質のせいなのか、それとも俺の体格のせいなのか、横揺れの度に尻からずり落ちそうになる現象。スマイルトレインとは一転、四角四面な「顔」も、あまり好きになれない理由。まるでアタッシュケースか(アルマイトの)お弁当箱のようだし。

飯能駅からの西武秩父行き4000系は事前想定通りすでに満席。
やっぱり先週の平日休みあたりに、疲労に鞭打ってでも来るべきだったか。あるいは今朝、地震で起こされたときあのまま起きて出かけてたら…などと早くも後悔している。

車端の銘板に「昭和63年 東急車両」とあり、その後更新はされているものの、そろそろ引退も近いのだろうか。
練馬の江古田駅前で初めて独り暮らしを始めたとき、独り身の寂しさ(笑)に耐えかねて、よく夜になってから、用もないのに乗りに来たものだった。
車窓をずっと追いかけてくる月が綺麗で、当時ヘッドフォンステレオでよく聞いていたのは崎谷健次郎。未だに曲を耳にする機会があると、不意にこの頃のことを思い出す。

今や吾野で交換する上り電車はスマイルトレインが、軽々と峠を上り下りしている。西武秩父線が開通した当時は西武有数の「山岳路線」として、ハイパワーモーターの101系が専用車として投入されたわけだが。
文字通り101系譲りの甲高いモーター音*2を、しばらくぶりに堪能していた。

車窓の山々はまだ紅葉でもないのに一面茶色で、道中さすがに滝のような鼻水が止まらず…秩父の街と、ミューズパークの周囲は雑木林だったようで、現地に着いてからは幸い少し落ち着いた。
観光客の目的は、今や多くが(俺と同じ)秩父詣でなので、途中下車客もあまりなく、ようやく途中駅から座れたのはボックスシートではなく扉脇の2人用ロングシート


そうして降り立った西武秩父駅ホームからは、さっそく秩父のシンボル、武甲山が間近に見える。
春霞なのか(杉花粉なのか?!)今日は白くもやって霞みがかっていたが、ずっと見てても飽きることがない。
階段を降りた改札内には、かつて石灰岩を運んでいた電気機関車(E851)と先代の特急レッドアロー号(5000系)の前頭部ミニチュア・モックアップが!

窓ガラスこそなかったが、運転台まで精密に再現してあるマニアぶり。
数年前、飯能駅の改札外でほとんど同寸の新101系を目にしたことがあったが、同じ作者(駅員さん?)によるものだろうか?
俺が小学生の頃に段ボール使って作っていたものとは、全く完成度も次元も違う…。

湯治に通っていた頃から数えても、もう随分と長いこと秩父に通っているのに、実は荒川の北岸へ足を運ぶのは初めてだ。
ここ数年は必ずといっていいほど「聖地巡礼」の際には足を運んでいた秩父橋が、この28日まで補強工事中なので、普段行かない場所に足を運ぶにもいい機会だった(秩父橋も貴重な観光資源のひとつとして「存続」補修が決まったのはありがたい)。
とはいえ土地勘の全くない場所なので、往きは循環バスで一気に登ることにした。
一日に4便(と、逆回りが4便)、時刻表を見ると途中ですれ違わないので、どうやら1台で回しているらしい本数しかなく、思いの外スケジュールが組みにくかった車社会。免許を返納する年齢になってから後悔しても遅い。
混雑が読めなかったし、バス待ちの間に現地で昼食の確保に回りたかったので、1本前の電車で秩父に着いたのだ。
近くのスーパーまで足を延ばして昼食の確保を、と思っていたのだが、運よく駅ナカに「駅弁」を見つけたので(ちょっと高価だけど)、あっさり調達完了。
しかし案の定、バス待ちの列が徐々に長く…。

折り返しのバスが到着すると、さっそくご高齢の3人組が車内ずーーーっと大声で、プライベート駄々洩れの会話をしててげんなり。先ほど発車間際には、まだひとり合流できてないので「ちょっと待って!」と車内一番後ろの座席から口々に叫び出す始末だ老害(地元在住だという3人目は、数秒後に駆け込んで来てなんとか間に合ったが)。
この騒々しいご一行サマと、他の年長者どもは音楽寺バス停で降りて行ったので、目的は俺と同じ梅林だろう。
俺はかちあうのが嫌だったので、あっさりと予定を変更。さらに先、ミューズパークの野外音楽堂から散歩を楽しみながら(ご一行サマをやりすごす時間を稼ぎながら)戻ってくることにした。
バスは梅林を左手に見ながら、つづら折りの道を登って行ったので、梅林の全景を眼下に見られて位置関係も把握できた。

秩父ミューズパークはアスレチックやキャンプ場のある、元々の地権者だった西武グループがそのまま運営を任されている巨大な自然公園。県と秩父市が管理者なので入場無料、というのも恥ずかしながら今回ネットで調べて知った。
なにせ敷地が広大(サイクリングロードだけで南北両端距離3.3km)なので、混雑とは無縁だ。
バスを降りてみると今日は催事がなかった野外音楽堂の周りは静まり返っていて、風が木々の枝を揺する音と鳥のさえずる声だけしか聞こえない、山中の「無音」空間。
劇場アニメ「空の青さを知る人よ」にも描かれている野外音楽堂はしかし、今日は工事中の看板が出ていて同じ角度の写真は撮れそうにない(まぁ今日はこれが目的ではないわけだけど)。

公園内をつらつら散歩しながら、梅林に向かって山を下る。
レンタサイクルがあるので、時折自転車とすれ違う。車道を模した広いタイル張りの道は、昨日新調したスニーカーだと靴底が滑って歩きにくかった。履き古したものよりもグリップは効いているはずなのだが。脇のアスファルト部分を辿るが、もしかしてこちらが本来のサイクリング道路なのではないだろうか。


13時も近くなってきたので、途中の「旅立ちの丘」展望台脇のベンチで駅弁を開いた。
味噌カツとどちらにするかさんざん迷ったが、味噌カツは時間があれば夕食までに西武秩父駅に戻って、フードコートで食べられる可能性があるので、今回は「豚味噌丼弁当」にしてみた。美味。
同じく地元名産品の、しゃくし菜が入っていたのが好印象。
先ほどバスで渡ってきた秩父公園橋(ハープ橋)を中心にした秩父盆地が、眼下に一望できるロケーション(こちら岸から見るのは初めて)。これ以上ない「おかず」になる。


旅立ちの丘展望台は、地元影森中学校で作られた卒業を祝う合唱曲「旅立ちの日に」が全国的に歌われるようになったことに因んで作られたもの。
今や卒業時期の定番曲らしいが、俺が「卒業」してからはかなり後のことなので、当然聞いたことがない。
展望台に設置されている安っぽいスピーカーからの音ではなく、帰宅したらYouTubeでいい音のものを探して、聴いてみようと思う。

昼食でひと呼吸ついてから、今日最初の目的地である梅林へ。
音楽寺バス停脇からすぐ梅林になっており、一面の梅が満開だ。
満開の梅を目にできる時間は、桜よりも短い。今日訪ねられて本当によかった。
昨秋、「第8波」で紅葉ドンピシャの時期に来訪を断念した悔しさが晴れていく気さえする。






カメラ片手に嬉々として梅林の斜面を降りきってしまったので、次に目指す23番音楽寺へは再びバス通りを登って戻り、駐車場裏手にある寺の入り口へ。この辺りは各分岐点に案内看板がなかったりして、ちょっと分かりにくかった。
山門両脇には宿坊と思しき使われていない建物が3棟(うち1棟はオープンテラスがあったから「食堂」?)もあり、かつては相当賑わった時期もあったのだろうか。もう花はなかったけど「樹齢250年」というどっしりとした白梅の木も1本あった。



登りついた音楽寺。梵鐘越しに見る境内からの眺めは、先ほどのミューズパークからの眺望とも甲乙つけがたい。
ご利益(後付け?)には「音楽隆盛」とあるためか、この寺に絵馬は見当たらず、本堂に掲示板があって、名刺やらポストカードやらがびっしりと貼ってある。いずれもヒット祈願のミュージシャンたちのもの。
しかし今日は土曜日なのに参拝者の姿はなく、「松風山」音楽寺の名の通り静かで、むしろ15番大慈寺よりも「ここさけ」に出てきそうなイメージ(あくまでもアニメ内での)がしなくもなかったが、地元とはいえさすがに高校生はこんな山の上まで日常的に上がってはこないか(と勝手に妄想)。
明治17年11月1日に住民が蜂起したという秩父事件から、丁度100年にあたる昭和53年に建てられた「秩父困民党無名戦士の墓」が境内にある。町おこしの一環だったのか、まだ石も風化しておらず真新しい感じで、ちょっと味気なかった。
本堂裏手を5分ほど行くと、秩父34カ所観音霊場を拓いた13権(賢?)者を模したとされる「13地蔵」が、山の上から秩父の街を見守っており、こちらの方が風情がある。
ここからの眺望は残念ながら、目の前に住宅が2件ほど建っていてイマイチだったが。


すっかり満足した勢いで、西武秩父駅までの戻りはバスを使わず、全行程歩くことに。
グーグルマップで事前に調べておいたところ、45分ほどの道のり(グーグルでは「平坦」とあったが…)のはずだったが、なんだかんだと寄り道しながら歩いたこともあり、新しい靴も悪かったようでさすがに途中から足が痛くなった。
幸い音楽寺から百花園内を下ると「江戸巡礼古道」を難なく見つけることができたので、何かと賑やかな車道を歩かずに済み、しかもこの山道では途中誰ひとりとも出会わないまま、往路バスではあっというまに通り過ぎた秩父公園橋へ。
自分の足で歩いてみると、レインボーブリッジのような巨大なハープ橋はそれ自体が威圧的な存在で、何よりも荒川河床からの高さがハンパない。
ブラタモリ」で秩父を放送した冒頭、俺と同じく高所恐怖症のタモリさんが怖がってたの、演技じゃなかった!
せっかくの絶景なのに、俺はほとんど欄干側に近寄ることができないまま、広い歩道の車道側を歩いてようやく渡り切った。

街側のたもとにあった。「2021年春開封」された?

そうして公園橋を渡って右手にある23番西光寺にも寄り道。
真新しい車道側は元々寺の裏手側だったようで、案内看板に従って脇道に入るとすぐに「西参道」もあるが、ここは横着せずに「表参道」へ回る。
何の事前情報もなかったのだが、短いながらもここの並木が白梅で、見事に満開。丁度桜吹雪ならぬ「梅吹雪」になっていた(動画で撮っとけばよかった…)。



こういう偶然の出会いこそが、旅の醍醐味。
だがまだ短い春の陽は傾き始めており、時間切れ。14番今宮坊へはまた次回。
ロケハン(初訪問)としては大成功だったので、次回はもっとそれぞれの場所でゆっくりしたいものだ。

帰りは観光客が引き上げるのを充分やり過ごしてから、18:00発の各駅停車に乗ることにした。
周囲が暗くなってきて、観光地が特有の「よそ行きの顔」から、地元の人たちが出歩く時間帯になるのを見届ける時間が好きだ。ようやく誰ひとり自分を知るもののない「遠くに来た」という気分になれるので、こうしてつい、どこを回るでもなく長居してしまう。
駅近くのスーパーまで足を延ばして、名物「味噌ポテト」と缶ビールを仕込んだ。
駅ナカで買うと味噌ポテトは1本¥330。地元の方たち向けの食材として売っているスーパーへ行くと、全く同じ味噌ポテト(製造卸元が市内に1社だけなので)が2本¥258で入手できるのは、「秩父ツウ」の人たちにはもう常識だろう。

駅に戻ると一本前の各駅停車が丁度出るところ、まだ余裕で間に合う。
しかし次発18:00の折り返し入線は発車20分も前なので、ここは見送る。

折り返し時間待ちの時間を、まだガラガラのボックスシートで。
靴を脱ぐと向かいの席に足を延ばしてひとり祝杯をあげる、なによりの時間。
こんなの、外から腰まで丸見えの特急「Laview」に、わざわざ特急料金を払ってまでやるこっちゃないでしょ(しかもLaviewはなぜか進行方向が変わる飯能まで、座席後ろ向きがデフォのようだし)。

今日撮ったデジカメの画像を手元で再生する。
このところオートフォーカスと意見が合わなくて、ちょっと凝った角度で撮ろうとすると(マクロでも)何度やっても背景にピントが合ってしまう…そろそろワンランク上のデジカメも欲しいなぁ。
なによりデジカメ片手にこうして遠出しようという気になれたこと。
ようやくデータ全消失のショックから、立ち直りつつあるか。

*1:因みに俺は、桜よりも梅が好きだ。

*2:4000系は101系の足回りを再利用して車体を乗せ換えただけ