土曜日、桜、感傷旅行。

9時半起床、晴れ。
この前の平日休みに決行するつもりだった、多摩湖線観桜。
とりあえず無計画に部屋を出て、ロケハン方々一旦国分寺まで行ってから、旧本町信号所あたりが絵になるようなら徒歩で戻り、時間があれば多摩湖まで足を延ばせればいいか、くらいの心づもりで出かける。
通勤を除くと久し振りに東京方向に顔を出すので、帰りに実家にも立ち寄るつもりでいる(こちらがメイン?)。

往路。

しかし我ながら少し、神経質になりすぎてるか。
混雑している車内では、マスク非着用者と容易に「三竦み」状態になる。週末昼間の外出を、さっそく後悔している。
移動中、必要以上に近寄らないように気配りしているから、休養にもリフレッシュにもならず、単に(平日通勤よりも)気疲れするだけかも。
車内混雑は平日よりも長い区間、だらだらと続いた。

乗り換えた西武新宿線は先を急ぐ道中でもないので、混雑している急行を見送って各駅停車・田無行き。
途中、立体化工事たけなわの新井薬師駅では、右にカーブする下りホームの外側、丁度ホームの壁が途切れているところで民家との隙間にちょっとした土の部分が残されていて、幹の太い桜の木が2本、精一杯に花を咲かせていた。
来年の開花までには、切り倒されてしまうのだろうか。

最初の急行停車駅、鷺宮で後続の急行に乗り換えようと思っていたら、「ドラえもんGo!」とすれ違う。
すぐにも西武新宿で折り返してくるな、と思い、途中駅で待ち受け撮影をしようと企てる。さっそく寄り道。
しかしなかなか、ホーム上で収められる場所が思いつかないまま、花小金井まで来てしまった。
最後部のカーブをホーム上から狙うことにして下車。

しかし1時間待ってみたが、来ない…どうやらひと駅手前の「田無折り返し」に入ってしまったらしい。自身の不運を嘆きつつ、予定通り萩山へと歩を進める。
そういえば西武名物(?)黄色い電車は、ここまですれ違ったのは1本だけで、随分と急激に本数を減らしてしまったようだ。
先ほど通り過ぎてきた上石神井の車庫では逆に、週末昼間に休んでいる「黄色い電車」ばかりが並んでいるのが見えたが。
しかし先ほど花小金井で1時間粘っていたところ、何本か続けて上って行ったりする状況は、全くの偶然だろうが、その昔「赤電」を追いかけていた頃を思い出した。
撮影しようと待っても待っても1本も来ないのに、諦めて引き上げようとすると何本も続けて通るとか…。

萩山駅での乗り換え、国分寺行きは今や全便多摩湖発なので、橋を渡って3番線(従来の西武新宿方面)ホームへ。今、新宿から来たところなので、逆向きのホームに乗り換えるのはかなり違和感がある。
今日の多摩湖線は萩山、一橋学園交換で9000系が3本。元々の黄色に加えて、それぞれ別の色(赤・青)に塗られていた。



「赤」は京急コラボ時代の名残らしいのだが白帯は外されていて、4連に短縮されてしまった9000系はなんだか遠州鉄道の新車のようにも見える。
国分寺駅にはすでにホームドアが設置されていて、4扉用のようだ。どうやら(片側3扉の)101系は、これを機に完全に駆逐されてしまったらしい。
後ほど実家に向かう際、丁度平行して武蔵境駅へ入線してくる多摩川線が「赤電」101系だったので、共通運用をやめて、今や残る101系は多摩川線の4連×4本のみになってしまった、ということか。

遅い昼食を求めに国分寺駅北口を出ると、全く想像していなかった広い空、広大な駅前ロータリーが広がっていた。
え、駅のこっち側はすぐごちゃごちゃした商店街だったよな…もはやそこに何があったか思い出せないほど広い敷地、確保するためにいったい何軒立ち退いたのだろう。
あまりの景色の変わりように呆気にとられてしまい、しばらく立ちすくむ。
全く気持ちの準備がなかったせいか、以前新築なった母校を見に行ったときとは比べものにならないショックだ。
少し周辺を歩いてみたが、坂を下った先にあった、小型の立川バスがようやく折り返していた狭い駅前広場、JRと西武国分寺線が共用していた小さな駅舎も、跡形も残っていない。
同じく発展を遂げたとされる中野駅よりもはるかに大規模な「地上げ」が行われたらしく、見た目だけならこちらの方が「大きな街」に見えてしまう。
そういえば駅ビルの南北連絡通路両側には、都内ならどこの駅にもありそうな大手飲食店チェーンが多数出店しており、どこも入店待ちの行列だった。
わざわざ暮らしにくくすることもないが、さりとて開発だけが「発展」だとすると、人の気持ちはいったいどこへ落ち着ければいいのだろう…。
一過性の熱病にでもなったように、何度か来たことのあるコンビニの位置までが思い出せなくなり、身の置き所もなく歩いていたらほどなく見慣れたスーパーの前にいた。
地下1階のお惣菜コーナーで「おにぎり&屋台風セット」321円(税込)と、店内で「いらっしゃいませ」と声をかけてくれたパン屋のおじさんの声が嬉しかったのでアンパンを1個買って、早々に撤退。

心は「変わらないもの」を求めて、八幡神社へ。


やはりこういうときすがるのは「神々しい存在」ということになるか人としては。


先ほど車窓からも確認できたが、満開を過ぎた境内の桜が、「吹雪」になっている。


一方、期待していた旧本町信号所あたりの「桜並木」は私の記憶違いもあったようだが、もうすっかり葉桜で、「並木」だと思っていた桜の木自体、すっかり本数を減らしてしまっていた。


境内でひととおり満開の桜を撮影した後、日が傾き始めていたが、同じく先ほど目にして息をのんだ途中駅、青梅街道駅の満開の菜の花を見に戻ることにした。
次はいつ来れるかわからない(「次」があるかどうかも、わからない)世の中だ。

4扉車はやはり通勤電車然としてしまって、どうも「私の中の多摩湖線」には不似合いなのだが、さすがに利用者も私の通学時代からは増えてきているのだろう、本数も増えた電車が到着するたびに、結構な数の人が降りては、ホーム向かい側の砂利道からカメラを構えている私の後ろを通って家路を急ぐ。

シンボルツリーのごとく1本だけ植えられている、背の低いハナカイドウ。今年の花はもうすっかり散っていたが、不規則に中空を伸びる枝が満開の菜の花とムラサキダイコンの花を、その懐にかき抱いているようにも見えた。

先ほどの国分寺駅の変わり様があまりにもショックだったのか、これだけの景色を目にしてても、自身の高校通学時代に思いを馳せるような感傷が湧いてくることは一切なく、ただただ写真に収める、という「動作」に終始していたように思う。
この時点で多摩湖まで足を延ばす意欲も失せて、早々に実家へ向かうことにした。




実家。

最寄りの駅前は、選挙選(告示日?)真っ只中で、すべての候補者が一斉に演説をしているのか、と思うくらい騒々しい。
駅ナカで偶然、京都フェアをやっていたので、生八つ橋を手土産に買ってからようやく、実家に「これから向かう」電話を入れた。

コロナ禍の常で、玄関先で失礼しようと思っていたのだが、ダイニングに招き入れられる。
母の折りたたみ式ベッドを常設にするためか、その母が積み上げた「荷物」の断捨離が行われている真っ最中。
そんなさなか、突然思いつきで訪問してしまい、大変申し訳ない。
せっかく家に上げてもらったのに、私の私物を持ち帰ろうにもこちらは父の「荷物」がその上に積みあがってしまってて、どこに何があるのかすらわからない。
加齢に伴って
「最近、整理整頓がすっかりできなくなっている」
と父が言う。
母は、つかまり立ちがやっとになっていた。
玄関にはいつ用意したのか、車椅子が折りたたんで置いてある。
老化って、誰にとっても初めての経験だから…つい最近目にした、不健康自慢(笑)の某作家さんのツイートを思い出した。

どうしても「今日の実家訪問が最期になるのではないか」という思いが頭を掠めてしまうので、つい足が遠のいてしまう。
そういえば両家の祖父母がまだ元気だった頃、両親の口からも同じようなことばを聞いたことがあった。
こんな私の思いも、両親には経験済みのこととしてちゃんとわかってくれている、ということか。

勧められるままに夕食まで居座ることになってしまい、食べていたら結構腹がパンパンになってしまった。さすがにもう、学生時代のようには食べられないんだけど。
親の子を思う気持ちって、結局私には一生わからないままなのかもしれない。

復路。

実家の辺りも、大規模な工場がいくつも廃業。これがいい「出物」になったものかここ数年、雨後の竹の子のように大規模マンションが建った。
これに伴って若い親子世代が多く入居してきたようで、バス車内の景色も混み具合も、私が知っている頃とはすっかり変わった。
今の日本では、経済的な不安を感じずに結婚ができる、というだけで「勝ち組」だ。ましてや東京のこの辺りにマンションを買えるほど生活に余裕がある人たち、今の私とは別世界に暮らしている…。
コロナ禍を経て久し振りの、週末の東京も、混雑する区間が全く読めない。
夜の上り中央線に乗っているのに、中野駅から思いの外たくさんの人が乗ってきた。駅前に大学が誘致されたせいなのだろうか。
このままJRで都心を経由した方が時間的には早いんだよな、と朧気ながら考えていた私の決意は打ち砕かれ、地下鉄に乗り換えた。
先ほどまで連れと大声で談笑していたオッサン。お連れさんが途中駅で下車、ひとりになるとつり革につかまりながらふらふら…相当酔っているようで、あっちこっちにぶつかってはうわごとのように謝っていた。
マスクは「着けて」いたが、当然のように口元を覆ってはいない。
ようやく千葉県内に戻った乗換駅では、両手いっぱいに一目でそれとわかる土産袋を抱えた「夢の国」から帰宅する若者のグループがいくつも。もうすっかり「戻って」いるようだ経済活動。
こうした若者のグループの中でも、必ずひとりはノーマスク。ただよく観察してみると、化粧をする必要がある女性よりも、なぜか男性の確率が高かった。
逆に女性の方が、連れがいるときはちゃんとマスクを着用しているようだ。
ヒステリックなのはむしろ男性、というか若い男子には「3年間」を無にされたという怨嗟のような感情が(女性よりも)根深いのかも知れない。

nara-piyo2204.hatenablog.com
こちらの舞台は、同じ西武線でも多摩川線なわけだが、妙に重なる部分もあったりするような気が、しなくもなくもなかったりもするわけで、自身の遠い記憶である高校時代に重ね合わせてみた次第。
もう何度読み返したかわからない。