「歌い続けて四半世紀」

とのフレーズが定着してしまいましたが。
ただ歌い続けていたらこんなに時間が経ってました。
とりたてて何かを得た、とか何かができるようになった、といった手ごたえがあるわけではなくて。いや、よくいわれるように、未だ手ごたえがないから、歌い続けているのでしょう。

先日も練習で、ある曲の最後の和音が、どうもすわりが悪くて。
潤哉さんが、「まず、合わせ方を作っちゃおうか」ということで・・・。
リード以外のパート数人ずつで、音を重ねていって、最終的に「(ベースの)最後の音を少し下向きに」といわれただけで・・・。
その場で歌ってたメンバーも、聞いてたメンバーからも、思わず「ハア〜」と嘆息。
全く違う音がきれいに鳴った、瞬間。まるでマジックを見ているような(その場で何の先入観もなく、指示通りの対応ができてしまう、歌い手としてのベースも、実はかなりすごいのだが)。
ベースがV音から、4度上がってきたルートでおさまる、というありきたりな音形で、どうやら他のパート全員が下降してくるために、微妙に鳴りが違ってしまっていたらしい。
そもそも「音程じゃないんだけど・・・」との枕詞がついての指示には、思わず「何すりゃいいんだよ(^^;」というやりとりもありましたが(もちろんその場は、いたって和やか)。

正式な音楽教育を受けてこなかったということは、こういうときにどうも、ことばに不自由だな、ということ。
居心地の悪い音が鳴っていても、原因は何なのか、それをどうやって相手に伝えたらいいのか、咄嗟のことばをもてない。音楽をことばにあらわす、という行為自体が難解なのだという議論もあるけど、実はことばとして伝えられなければ、メンバーと情報共有できないし。
そうはいってもまぁ、今更基礎からどうこうという気も、実はさらさらないので(懲りてないのだ)、今後も気になることを気になったときだけカジることはあっても、歌い手として得てきたものを、最大限に駆使していくだけ、なのだと思う。
人間、そうそう急には変われないものらしい。

それにしても、いつまでもことばに不自由でもしかたない。という思いもあって、日記が続いてたりして・・・。

前回ちょっと触れた、ダチから別件で電話もらいました。どうも一人暮らしが続いてしまっている様子。彼には、(私の分まで)フツーの家族として幸せになって欲しいと思っているのですが。素直にそう思える、ホントに数少ない友人なのです、私にとって。
あ、来週は年に一回の旅行で両親とも留守だ。俺も久しぶりに、悠々自適な一人暮らしだよ。