今日の主な仕事は、再販予定の書籍の校正。

って、何で俺が「子育て支援事業」関連の書籍なんか、読んでるんだろう。
まだその前段階にも至っておりませんが。
子どもを預かる環境作りについて、理念と実践。
事故予防の考え方や実際の事故例、簡単ながら心肺蘇生術にまで論が及ぶと、さすがにドン引きだが、プロの現場では当然、知っていなければならないことなのだろう。
それで咄嗟に連想されたのが、まほちゃんの日記に出てきた保育士志望の青年だったりする。
身近にそういう話があったおかげか、結構興味深く読み進んでしまった。
まだまだ世間では、「子どもが小さいうちはお母さんが家にいて子育てするもの」という高度経済成長期の固定観念から抜けられず、自分の時間をもつことにすら罪悪感を憶えてしまうお母さんたちも多いとか。
身体の機能と精神の発達時期によって、おもちゃひとつとっても成長のために求められる内容が違ったりすることとか。
もちろん市販のものだけではなく、普通に身の回りにあるいろんなものからでも、子どもはいろんなことを学んでいくものらしい。

おもちゃは子どもが関わることによって、遊びが生まれるものを選択します。市販のおもちゃには、一方的に刺激を与えるだけで子どもの働きかけに対して反応を返さないものもあります。
*1(中略)
2〜3歳になると、見立てごっこ遊びが盛んになってきます。見立てる力が伸びている時期には、子どもの想像力によって自在に変化できる積み木やお手玉などを用意します。盛んにごっこ遊びをする時期には、ごっこ遊びのきっかけになるようなものを準備します。

なるほど。
子どもから能動的におもちゃに関わる、というだけでなく、逆におもちゃから子どもの行動が引き出されるという例も。

例えば、武器のおもちゃを用意すれば、子どもは自然に戦いの遊びを始めます。屋内であり乳児が混じっている場合には不向きでしょう。
細長いおもちゃは「たたく」という行為を誘発し、丸いものは「投げる」という行為を誘発しますから、やわらかい素材のものを選ぶことが大切です。

こうやって、最初はとっても狭い世界ながら、いろんな働きかけや反応を受け取って、オトナになっていくんだな人間って。
前の職場では、小学生くらいの子どものキャンプ・ボランティアをやったこともあったが、子育ての奥深さの片鱗だけでも、ちょっと垣間見ることができたような気がする。

かつて子どもだった私たちのままごとには、赤ちゃんの役からお年寄りの役までいて、そこには子どもを取り巻く何気ない日々のやりとりや生活がぎゅっと凝縮されていたように思います(中略)今、子どもたちの目や心に、いったい何人くらいの生き方のモデルが映っているのでしょうか。そしてそのモデルたちは、泣いたり笑ったりしながらも、生き生きと日々を過ごしているでしょうか。

最近、子どもに接する機会がないけど、子どもの観察力ってすごいんだよね〜。
今の俺は、子どもたちにはどんな生き方をしている大人に、見えちゃってるんだろうな。

*1:ちなみにテレビとかビデオ鑑賞とかが、これの典型らしい