M150 at いちこし

っつーわけで、行ってまいりました。
午前中からイベントにつき人手不足な「事務所番」で、文字通り雑事に奔走していたら、昼食をとるのをすっかり忘れていた。今更ながら時計を見たら、16時を回ってる。おっと、グルーブラインが始まっちゃうよ(違!)
結局そのまま、終業時間まで仕事をこなし、空腹感からくる軽い吐き気にくじけそうになりつつも、久しぶりに出かけた銀座「いちこし」。
ぃやだぁ〜、おふたり、俺のすぐ後ろの席にいたのね。先日と雰囲気が全く違ったから、わかんなかったよ。
一聴して、みずえちゃんの歌唱安定性にまず目をみはる。
ご本人の中で、歌いたいテーマがはっきりしてきたのかなぁ、と勝手に想像して、我がことのように喜ぶおっさん(俺)だ。唄もぶれないし、いい意味でカドが取れたカンジ。
専門家による訓練を受けることって、やっぱりそれなりのものがあるのだな。
アカペラと違い独唱だから、華やかなコードの移り変わり、音「色」の移ろいは、ピアノが担当(どっちかっていうと、こちらが普通)。聞いている俺の側の感受性やコンディションも、多分にあるのだが、今夜の俺は、目の前で紡がれていく音の移り変わりから、いろんな景色が見えたような気分で演奏を楽しむことができた。
生演奏でも録音でも、音の向こう側に「風景」が見えてくるかどうかが、最近の個人的な(価値判断の)ボーダーになっている。音そのものの持つ複雑な効果を考えると、はなはだ単純な価値観ではあるが。
逆に、薄暗いスタジオでの録音風景しか想像できない演奏は、なんだかがっかり、だったりする。
続いての演奏は、プロの女性シンガー。
ノートPCでカラオケ音源を持ち込んでのひとり弾き語り。PAの調整を見せられた段階で既に、なんか萎えましたが。
PC音源がどんなにリアルなものになっても、なんだか自宅(?)で一生懸命、打ち込んでる光景が先に、見えちゃうのななんだか。
実際には、こういう演奏形態にすることでピアノ以外のいろんな音色・効果が使えているはずなのにね。
「いちこし」独特の、場の雰囲気との相性、というものも考えられるだろうし、いずれにしてもちょっと残念だった。
もしかして、「最大公約数」と、極めて個人的な(俺の)好みとは、やっぱり相当、ズレてるんだろうか。
こうして、自分の常識はずれっぷりをまた、再確認。
今夜の生演奏「観戦」の経験は、さっそく自分なりに(一人多重)録音に役立てるべく、(自分の)ラフ録を聞き直しながらの帰宅(また懲りずに、ごそごそと始めたわけだ)。