残業を終えての帰路。

暖冬だというのにヒーターの効いていた電車から降りたら、丁度目の前でバスが出たところ。
カラダが妙にほてっていたせいか、電車より窮屈な路線バスの車内を想像しただけで憂鬱になり、とある理由で赤貧状況な友人がバスも使えずここ数日、駅から歩いて帰宅しているなんていうハナシを思い出したりもして(スミマセン)、俺も歩いてみるか、という気になった。


夜の住宅街を歩くのは好きだ。


バス通りではなく、車の入ってこない川沿いの道を歩く。
手入れされた庭に、もうタイサンボクが白いつぼみを膨らませている。角を曲がって開けた畑のむこうに見える家々の明かりが丁度、ルネ・マグリットの「光の帝国」という絵のような色合いに映る。灯った明かりの小窓ごしに、洗剤なんかのペットボトルが並んでいたりして、ああ、あの窓は台所か。この時間、夕餉の準備はとっくに終わっているのかな・・・。
どうやら曲がる角をひとつ間違えたようで、そのまま進むと歩き慣れた記憶の風景と微妙に異なってきた。谷内六郎の絵のように、家々の影が急に自分に向かって襲い掛かってくるような、心もとない気分に・・・とはいえ方角さえ間違えなければどうせすぐに、目印になるような大通りにぶつかってしまうので、夜道で迷子、というワクワク感も、それなり。
明日、明後日の週末の過ごし方から始まって、そういえば楽譜に起したいと思っている曲が、ひとつ、ふたつ、と数えはじめ、そのうちの一曲「踊り明かそう」のオスカー・ピーターソン版がアタマの中で鳴り出すと、家まで延々奏でっぱなし。ヘッドフォンステレオでの一曲なんて、そう思うとあっという間に終ってしまうものだが、想像上の演奏は自分都合で何度でもループできるので、なかなかエンディングにたどり着かない。
ひとりは寂しさでどーしよーもないときもあるけど、退屈を持て余した、という記憶は少ない。
やがて自宅の窓の明かりが見える頃には、日ごろ何かと運動嫌いの俺にも小さな達成感と心地よい疲労感。
明日はこの勢いで一ヶ月ぶりに自転車を引っ張り出して、遠乗りでもしようか。