ホーミー、あんなに倍音が鳴るものなんだ。びっくり。
思い込みから勝手に、「モンゴルの草原」をイメージしようとしたら、同じように人っ子ひとりいない、雑草だらけの狭い校庭に5月のさわやかな風がわたる、今の会社の景色が広がってしまい、がっくり。
もちろん演奏のせいではなく、こっちの受け止め方の問題だ。
どういう感じ方になってしまうのであれ、確実にこころの深い琴線に触れてくる演奏だった、ということだ。
MCでの説明によると、事前に簡単な打ち合わせはしているものの基本的には全編アドリブ、毎回その場限りの演奏になるのだそうだ。
今夜この場に居合わせた他人同士10名足らずだけが、その貴重な目撃者だと思うと、奇妙な気分になる。
ある種ナマな音楽の、究極のカタチ。
ただ、俺たちの出した音もそうだが、瞬時に大気の内に消えてしまい、翌朝になってその「痕跡」を、例えば関係者のブログの中に探そうとしても、当然なにも残っちゃいない。
生の音楽を聴く行為が日々の生活の一部になっている人たちにとってみれば、(その場で得られた感動の大小とは関係なく)改めて日記に書く、文字にする必要があるというものでもないのだろうけど。
とりわけここんとこ仕事が忙しい俺にとっては、まだまだ生の音楽に触れる機会は、特別で貴重な時間。
それにしてもアルカフェ、短期間ですっかり「音楽の玉手箱」状態にまで、なってるなぁ。
フラッと夕食をとりに立ち寄っても、質の高い音楽に出会えそうな期待感のある場所に育っている気がする(自分の演奏はともかくとして・・・)。