銚子電鉄

この切ない気持ちを、どうしてくれよう。
完全に惚れました、一目ぼれです。
銚子電鉄のデハ801。
昭和25(1950)年生まれ、御歳60歳の令嬢。

俺の数少ない(?)テツ記事を読みにきてくださった検索ワードを逆に遡ってみたところ、稼動車両わずかに5両というこのちっちゃな電鉄にも、間もなく「近代化」の嵐がやってくるらしい、という報せが。
もういてもたってもいられない気分になってしまった、晴天の代休、平日休み。
今後次第に、現地がフィーバーしていくのは明らかで。ただでさえ人込みが嫌いな俺としては、単身ひっそりとお別れを告げにいける絶好の機会、もう今日しかない。
というわけで、今年だけで早3回目の訪問となった。
まさかこんなご縁になろうとは。いつ不意に尋ねても、変わらずそこにあるもんだと…。
テツってどうしてこう、たかが機械を「人格化」して考えてしまうんだろう。難儀なシュミですわホント。

いたいたっ! 長いJRのホームの端っこに間借りしたホームに。
場所柄「醤油ツートン」なんて呼ばれる色に塗りわけられた、お目当ての電車が。

単線運転、真ん中の笠上黒生駅で交換、という単純なダイヤなので、2両あれば足りてしまうという小さな電鉄。地下鉄からやってきた「新車」だけで2両あるので、運が悪ければ出会えないかも、と覚悟はしてたが。ツイてる、というか、会社のご好意もあってか、お別れを前に老体に鞭打って、割と頻繁に出動させてもらえているようだ。
控えめながらも、「LAST RUN」の掲示も。
そして引っ掛け式テールライト。そもそも昔はランタンとかカンテラとかだった名残だろう。

それではこのほかの、車内・車外の昭和なアイテムの数々を。


かつての電車はみんな、運転席はこのようにコンパクトなもので。
その分、全面展望は最高〜。こういう古い電車に乗りたくて、わざわざ電車通学の高校を選んで受験したっけ・・・。

前回同様、車掌さんから、一日乗車券を購入。
それからいつものように、一旦終点まで乗り通し。

つり革、振り切れてます。

電車って、揺れる乗り物だったんですよね。

平日に来ると、いつもの「変わらぬ光景」感ひとしお・・・見慣れた色の電車を背景に置いた光景も、あとわずか。

時間が来ると、短い発車ベルの後、そそくさと今来た線路を戻っていく。
なんて実直。
実際、戦後の混乱期から、そんなサラリーマンたちを満載して走っていた時期もあったんだろう。
隣の青い電車が置かれているのは、一足先に解体待ちの引込み線。

俺も、行きつ戻りつ。途中駅で下車しながら、撮影がてらの散歩。
電車はゆるいカーブを、細い線路の上を、まるでワルツでも踊るように、グラリと揺れながら。

移動中の車内で。

この電鉄ではすっかりおなじみの、手書きポスター。
中でも今回、俺的にイチオシだったのがコレ。色紙の切り貼り細工。

広告だけでなく、思い思いに切り取られた電鉄の車両たちの写真。偶然に立ち寄っただけでは見られないような撮影状況や、小さな電車に向けられた暖かいまなざしや想い、それを表現する確かな腕…こうして見ているだけで、かなりヤラれます。

丘の上の小さい無人駅まで戻ってきた頃には、短い冬の陽も傾いてもうすっかり山影に。

重たげにモーター音を響かせながら、坂道を登ってくる車内にももう、電灯が灯り始める。
同じ蛍光灯のはずなのに、なぜかとても暖かい色に見える。

起点側の、JR銚子駅前にも、おなじみ冬の電飾が。

目の前で東京方面の電車に行かれてしまい、時刻表を見たところ、次の各停でも、さらに1時間後の特急でもそんなに違わず。
ただ待っているのも何なので、夜の闇がおりた車窓を楽しみつつ、もう一往復乗り心地を惜しみ満喫することにした。





電車は変わってしまっても、駅周りや町は、再び訪れるまで変わらぬたたずまいでいて欲しいな、などと(余所者が勝手なことを)。


あまり夢中になってて、そういえば今日は昼食をとっていないな、ということにようやく気づく、帰りの特急車内。