定禅寺ジャズ、2日目

ホテルの朝食は、かつてなく豪華なバイキング。以前、同社のあおば通り側には泊まったことがあったが・・・来年もここ、第一希望にしよっと。
昨日チェックインしたときは、予約していた禁煙の部屋が満室で、「喫煙の部屋に消臭対応させていただきました、申し訳ありません」とフロントの方が大変恐縮していたのだが、実際たばこの臭いが気になったのは最初だけで、二度目以降の入室では慣れてしまったのか全く気にならなかった。
ホテルに東芝のでっかい広告灯が乗っかってるなぁ、と思っていたら東芝ライドオンジャズオーケストラのご一行が宿泊。ビルの名前も「東芝ビル」になっていて、どうやら関連施設、ということらしい。





遠い仙台の地に来たという高揚感が落ち着いて、ようやく音楽を楽しめる心理状態になった気がした。無意識に「被災地」という気の張り方もあったかも知れない。よく見るとそこここに地震の爪あとがなくはないが、それでも全体としては例年と同じ、俺の目に見慣れた仙台の風景だったことに、少し安堵したのかも知れない。

街中そこかしこ、様々なジャンルの音楽が鳴っていて、気に入っては足を止める。お腹がすいたら道端のお店で買い食いをする。そんな気ままな、自然に入ってくる、音楽との付き合い方。
そして今年も気に入ったバンドのCDを一枚だけ、買って帰る。
新星堂さんが、今年は勾当台公園にブースを出していて、出演バンドのCDを揃えて販売しているのだ。
今聴いたばかりのお気に入りの音楽を、実際に手にするこのドキドキ感。音にするまで愛でて愉しむジャケットのデザイン。
CDというシステム自体が、あといったい何年あるのだろう。
さすがにレコード盤の時代はこうも気軽に、とはいかなかっただろうしそこまで戻ろうとも思わないけれど。
そんなことを考えると、ちょっと寂しい気分になる。

11:00 電力ビル

ホテルをチェックアウトした後は、電力ビルで念願のHappy Tocoさんの演奏。
一昨年、メインステージ(市民広場)での演奏が素晴らしく、ぜひもう一度、と思っていた。さすがに遠目すぎて実演を見ることができなかったのだが、今日は満員ながらも目の前での演奏。
ドラム、実に楽しそうに叩くんだよなぁ。しかもディナミークの幅が広くて、この人になら俺、習いたいかも、などと思ってしまった。
曲の構成を理解していないと、こう表現豊かに叩けないよな。クラシックの曲をベースにジャズテイストで演奏するスタイル、ドラム&ベースが、このジャズの「味付け」役を担っている。

満席の空気の淀みが辛かったので、一旦外気を吸いに出たが、次なるお目当ては同会場で、The Swing Four。

昨年11月、餃子とビール片手にミヤ・ジャズで拝聴して感激した、男声4人のフォーフレッシュメンのようなベテラン、コーラス・バンド。伴奏はピアノとベースのみの組み合わせ。
まさか定禅寺でも、お目にかかれるなんて!
過剰にアンサンブルに走らず、しかし一糸乱れず、それぞれがしっかり声の出ているコーラスは、いつ聴いても気持ちいいね。
さらにはウッド・ベースの方が途中、おひとりで歌われるコーナーが設けられており、チャップリンの「Smile」を、歳相応(失礼)の、しかし実に味のある歌い口で聞かせてくださった(隣で居眠りしていたツレが起きたくらい)。
ジャズ・ボーカルって、こういうものなのかも知れない。
若輩者の今の俺には、まだどうってうまく、ことばにできないのだが。
今年の11月にも、宇都宮でお目にかかれるかなぁ(もうあと2ヶ月か)。

松島海岸

JR東日本)東北支社では、ドアではなくゆびの方らしい、危険なのは。


仙石線で松島海岸へ。
俺のこころがけが悪かったものか、昨日とは打って変わって曇天。思えば松島では晴れたことが一度もない気がするわけだが。
駅前の無花果の実。東北のものは種類が違うらしく、これ以上大きく実らないそうで、食べ方も味も、違うものらしい。


晴れていれば、こんな感じか。


遅い昼食を取ろうとウロウロ、駅方向から一番奥の一角までたどり着く。
この一角、昼食時間帯のピークを過ぎたというのに呼び込みの方がたくさんいて、小心者の俺にはやや怖かったので、店の写真を撮れなかったりして。そのうちの一軒、桜井食堂に入った。
呼び込みに応じて入店したもんだから、牡蠣をサービスしてもらう。
そしてやっぱ、松島ビール。ここではヘレス+牛たん定食。



例年どおり遊覧船で塩竃へ、などと思っていたら15:30の便で終ってました。確認しないで切符を買おうとしていたのは湾内周回便で、塩竃のつもりで元の港に着いてたら、それはそれでびっくりだったろうが、もう16:30。ちょっとゆっくりしすぎたか。
ここら辺りの遊覧船、というとかもめの餌付けができることでも有名(?)だが、松島地区漁業組合の売店では、かもめのえさを売っており、人も食べられるというから何かと思ったら、なんとカッパエビセンそのものだった。

陸でもできます、かもめの餌付け風景。一応人物には、モザイク処理な。
実際かなり近寄ってくるので、ふと気付くと後ろも取り囲まれてヒッチコック気分、ということにも・・・。


松島独まんで食べたソフトクリームが、乳濃厚でかなりいけた。
店内の柱には、「ここまで水がきました」の印が。俺の身長でも胸下くらいの位置だ。この辺りは松島が緩衝堤の役割を果たしたので、津波の被害は比較的少なかったと聞いていたが・・・。
そうそう、むとう屋さんもちゃんと通常営業していました。ほっ。




仙石線も、まだ全線復旧には至っていない。
実際、塩竃のあたりの車窓は、まだかなりひどかった。
ここから先は代行バスになっていて、以前のように石巻まで足を伸ばす勇気は、とてももてなかった。









帰宅してから、今回うかがえなかったジルコンズさんの日記を拝読したのだが。
演奏後に握手を求められた相手が被災した方で、つらつらと当日身の上に起こったことを話されたらしい。こんなところで話されたところで、話された方も固まるしかないだろうが、6ヶ月も経ってこういう演奏を楽しめるまでになったこと、他人に対して自身の被災体験をアウトプットできるようになったことは、(他人事ながら)この人は大丈夫、よかったな、と思う。
ジルコンズさんのことだから、こういう時期だろうがなんだろうが関係なく、いつも通りのパフォーマンスを演られたのだと思うし、それがお相手のこころをこういう風に開くことができたんじゃないかとも思う。
一方でこの日のために、被災者を勇気づけるために、とか意識した選曲をしてきたバンドが少なくなかったのも、今回の定禅寺ジャズの特徴だったが、余所者の俺が見ていて、なんだかとても違和感を感じてしまったのも事実だ(所詮、余所者ですけど)。
もちろんそういう気持ち自体は大切なことなわけで、それを素直に肯定できずにいる自分の方が妙だといえば妙なんだけど・・・どうしても上から目線の、安っぽい感じに思えてしまうんだよねぇ。
もちろん被災者ご本人による演奏、なら全然気にならなかっただろうし、メンバーが現地入りして、ちゃんとある程度の長期間ボランティアしてました、っていうならなんとなく話はわかるんだが、アマチュアの音楽で「自分たちにはこれしかできないから」という発言に感じるこの違和感ってのは・・・。
自分達のバンドの演奏に少しでも自負があるのなら、別にいつもと変ったことをする必要はなかったんじゃないかと、日記を拝読していて腑に落ちたわけ(ちょっと泣いちゃったよ)。
じゃぁプロだったらそれが許されるのか、とかそもそもプロと素人の境界ってどこなんだよ、とかといったハナシでもあるんだけれど。
感情論なだけに、正解、とか結論、とかはないんだろうなこういうの。
少しずつ知り合いが増えていくように、そのうちテレビの向こうの画じゃなくリアルに共有できるよう、時間はかかるがゆっくりと「想い」に寄り添っていけたらいいのかな。

仙台に戻ってロッカーから荷物を出し、ここでようやく、ツアーの飲み物(無料)券を利用。交換指定のえきなか数店の中から、「杜の香り」という喫茶店で本格的なコーヒーを愉しんだ。
ここで三たび市民広場に行く、というプランもなくはなかったが、疲れていたのとゆっくりとみやげを選んだりしていたら、ことのほか時間がなくなってしまった。

そして、
駅弁が、ない。一個も。売り切れ。こんなこたぁ、初めてだ。
僅かな望みと期待していた車内販売も、売り切れの異常事態。今どき、どこの国の飢餓超特急だよ。
主催者公式発表による過去最多、述べ79万人の余波がここでも。
こんなことなら、キーチャンズでメシ喰ってから乗ればよかった、と思ったところで後の祭り。

多様なビールで車内酒盛り状態。
元々酒に弱いこともあって、かように酔っ払ってしまえば空腹も気にならず・・・やっぱりとても、経済的。
写真左、仙台クラフトビールは、俺にとって今回、ニューフェイスだ。




仙台駅の、このエスカレータで新幹線ホームに向かう風景の切なさが、俺にとっての定禅寺ジャズの終り。
さよなら、仙台。また来年。



やっぱり最後は、新幹線のこのおシリでシメ。