全体研修会

土曜日だとゆーのに。
長年ホームレス支援の現場にたずさわってこられたOさんのお話は、いろんな意味でこころに沁みた。
昨年の震災以来、やたらと「絆」ということばが飛び交っているが、その度に何か違和感を感じていた。
今回この点が、お話を聞いているうちに、目からうろこだった。
結婚相談所が大繁盛し、成婚率も上がったという。
一方で、福島原発関連での意見の相違などから、被災地での離婚が増えた、ということもあったらしい。
相手(との関係を築こうというモチベーション)が、自分の危機管理の一環、でしかなく、それは相手という人間に対して「モノ」扱いしているにすぎないんだという。
所詮、自分にとって都合のよい関係性かどうかでしか、見えていない。
実際に、人間同士がつきあっていくことは、大変な勇気を伴うのだという。
見るからに若造だった頃のOさんが、今ほど若者が多くなかった頃のホームレスにお弁当の配給をしたからといって、手放しでありがたがってくれる人たちばかりではない。中には施しを受けること自体に抵抗があり、「こんなマズいものが食えるか!」と目の前で踏みつけられたこともあるという。
ヒトは、ヒトだから、自分では想像のつかない反応が返ってくることもある。
実はそこから、本当の関係性が始まるのだという。
周囲の他人に、虚言癖でカネを借りまくった老婆が亡くなったとき、多くの「仲間」が訪れたという。口々に悪口をいいながら献花し、みな一様に涙していた。これが、ひとりの人、たとえば身内であっても、数万円、いや数十、数百万円借りたまま亡くなったのなら、恐らくその人は弔問には来なかっただろう。彼らはみな、老婆に金を貸していた。しかし、ひとりひとりはそんなに多い金額ではなかった。結局、返っては来なかったが。
これが社会でひとりの人を支えよう、という本当の意味だという。
Oさんの団体からの支援にたどり着けた多くの貧困者が、「助けて、といえたときには助かっていた」という経験をした、という。俺は自身のリバウンドを猛烈に思い出し、重ね合わせて、涙が止まらなかった。
そうやって、ヒトはヒトと触れ合いながら、初めて自分というものが、自分の立ち位置がわかるものらしい。Oさんにしても、まさか自分が今のような活動に本格的に携わるなどと、当時は思っていなかったそうだ。
俺はこれから、この職場でどんな専門性を身につけられるのだろうか。
研修内で新人紹介のコーナーがありちょっと身構えたが、当然のことながら中途採用の俺の名前はない。
そうなると無下に扱われてるんじゃないかと思われたり。
所詮、「野良」ですけど。