ノミ練〜合唱

ほぼ一ヶ月ぶりに全員勢ぞろいでの、ノミの心ぞう練習を新宿で。
道中冷たい雨で、この夏用の革靴は濡れた路面を歩くだけで、面白いほど水を吸ってくれる。お陰で、例によって地下鉄の起点から終点まで完全乗車して新宿にたどり着いたときはすっかり乾いていたのに、新宿駅を出てスタジオまでのわずかな道のりで、あっという間にびしょぬれ・・・。
ここまで寒いと、なんだかわけもなく腹立たしかったり。
練習自体は、いつものようにあったか和やかだったわけだが。

その後、急用で間に合わないかも、と半ば諦めていたのだが、大学合唱団の定期演奏会、なんとか最終ステージに間に合うことができた。
演目はヘンデルメサイヤ。OB・OG合同ステージ。45周年を期に、次回は50回定期演奏会まで、しばらくOB合同ステージはないという。
というか、OB会からは俺は消息不明になっていたので、そんなこともごく最近になって偶然、ホームページから知ったのだったが。
そんなこんなで駆け込んだところで、俺はホールの外から持ち込んだ雑念・煩悩だらけ。
テナーのソロを、現役時代にお世話になった指揮者の先生が。
年相応、とはいえ、あくなき声量や高音に至るテクニックの数々は、やはりすごい。
偶然にも昨夜テレビで、某有名歌手が歌っているのを見たんだが、声が出ないときの俺と同じく「ぶら下がり」がひどかったもんで、一聴して、ああこのヒトもトシを取ったなぁと思ったばかりだったが。
先生の声からは、全くそういう加齢が感じられなかった。
ステージ上には、見慣れたOB・OGの方々の、あの顔、この顔。
それだけで、その場は胸がいっぱいになってしまっていた。
残念なことには俺のメモリーが消失していて、お名前が思い出せない方々も・・・。
それだけの時間が流れた、ということだ。
相も変わらず、多少年はとったかも知れないが、こうして集まって歌っているお姿を拝見していると、ここに至るまでにいろいろとあったのだろうが、それでも今夜ここにこうして集まってきていることの「奇蹟」を思った。どれだけの確率で成立するものなのだろう。
たくさんの魂が、肉体が、たったひとつの音楽の場に引き寄せられるように、ここにつどってきている光景。
そもそも歌って、一番直接的な、肉体の芸術だけどな。
宗教曲って、すごいなやっぱり。
大曲が終わるころには、そんな哲学的なことも考えるようになり、「あれから随分と遠くまで、でもちゃんと生きてきたんだよなぁ。俺なりに」という気分になっていた。
願わくばそれが、自分で決めてきた道のりでありますように。
誰かに、「ちゃんと自分で選んでたどり着いているじゃん」といってもらえるような人生でありますように。
不思議な体験だった。
(こんな個人的な体験はこっ恥ずかしくて、OB会のホームページに書く勇気がないので、こんなとこにこそっと書いてたりする)