ヒトの思いの集まる先は

久しぶりの、土曜出勤。
仕事が早く終わり、そういえば「今日は夏至」で思い出した。先日市報で見たのだが津田沼モリシア前広場で、「キャンドルナイトin習志野」を17時からやっているはずだ。周囲はまだ明るく、キャンドルの雰囲気が出るのはこれからだろうが、こういうイベントには音楽演奏がつきものと「勝手に思い込んで」いるので、食料の買い出しを兼ねて、帰宅の足を延ばして寄り道してみた。
キャンドルナイトについては、こちらを参照。
http://www.candle-night.org/jp/


最近、例年に比べるとすっかり音楽活動と疎遠になっている。
もっとも、放っておくとダメ人間的なまでに深みにはまるのは明らかなので、「適正化」されている、といえなくもないが。
すっかり(本人が演ってきたのは、なんちゃって)ジャズともご無沙汰で、もっというと今の職場環境では小洒落たスウィングよりもギターがゴリゴリ鳴るようなロックの音の方が似合ってしまう。通勤道中や休憩時間に聞く音楽も、すっかりその方向に傾倒している。
そんな「開店休業中」な俺ごときですが、さてこれから音楽イベント(?)について、八つ当たりいたしますよっと。

キャンドルは思っていたよりも広い範囲に灯されていて、小さい炎の揺らめく感じは悪くない。のだが、これならどこかの一角に集中して配置してもいいのではないかと思ってしまう。配置が散漫になってしまったようで、ちょっと期待外れな印象。勝手に期待していたイメージよりも、本数が少なく見えてしまうのだ。

「勝手な思い込み」だけは当たっており、会場に着いたとき演奏していたのは、ごく個人的に興味が薄い楽器による演奏だったので、買い物を済ませてから改めて立ち寄ることにした。
一通り買い物を終えて戻ると、丁度ジャズ・バンドの演奏になっており、“Night And Day”が始まるところ。メンバーは定年退職組かという世代の男女。
ボサノバ調で始まったAメロ部分、なのだが…なんだかノレナイ。最初につい、俺の目がいってしまうのはやはりドラマーなので、ペダルの踏み方を見て、その教科書的な律儀さから、「ああ、あの大手音楽教室出身者だな」などと愚考する。ノリもそうだが、各楽器とも、自由な演奏というよりは譜面が見えてしまうような音で、もう少し演奏者側のアツさが感じられてもいいような…。
こういうイベントなどで「ジャズ」というと、カクテルピアノが「じゃら〜ん♪」的な、単なる「おしゃれ」な音楽とでも思われているんだろうなぁ。
本当は文化背景も歴史的経験も我々とは全く違う、むしろ黒人たちの「苦難」の歴史から生まれるべくして生まれた音楽表現であって、BGM的に聴くというよりはダイナミクスの大きなインプロビゼーション(アドリブ・ソロですね)を、奏者と一緒に旅をするように聴きたい…ある程度のアツさを持ったものになるはずなんだが…苦難の歴史を全て背負った演奏をしろ、とまではいわないけど。
同様に、アカペラで傾倒している人も多い「ジャズ・コーラス」といわれるジャンルも、俺はどっちかというと苦手なんだよな。こちとら不勉強につき、あれのどこが「ジャズ」なのかが、今もってわからない。
そんなことをつらつら思っていると、キーボードのバッキングが1小節先行し始めてしまい、もうかれこれ11小節…いたたまれなくなって会場を離れた。そういえばこのバンド編成、サックス2本にキーボード、ドラムの4人組で、なぜかベースがいないのだった。

演奏する側も聞く側も、無心になって楽しめるのなら、理屈なんてどうでもいいのだけれど。
ただ、「この人たちは今夜ここで何をしたかったのだろう」という部分がもう少し伝わってきてもよかった気がする。
もっとも、あれだけ大人数の前で、大々的に演奏しちゃったら、様々な「評価」からは逃れられないとも思うが。

改めて会場全体を見回すと。
受付では「東日本大震災」の復興に向けた寄付を募っており、頭上にはたくさんの「黄色いハンカチ」に、思い思いに願いが書かれていた。何故か復興を祈念する文言が多く、密接な関係性があるのはわかるが、キャンドルナイトがどういうものであるのかの説明には行き当たらなかった。
また、キャンドルが灯されている側の広場(演奏ステージとは反対側)では、消灯どころかオーロラビジョンが、慌しく様々な色で明滅している。俺は早々に会場を後にしてしまったので、周囲が暗くなったあの後で、周囲のビルのご協力を得てあれらネオンが「消灯」されたのなら「成果」といえるだろうが、今となっては知る由もない。
ここまで見る限りでは、残念ながら全体として「私たちは、正しいと思うことをいうだけはいったからね」というエセ左翼的な雰囲気だけしか感じ取れなかったのだ。
最早、何のためのイベントなんだかすっかりわからなくなっちゃってる(伝わらなくなっちゃってる)。催事のコンセプト、テーマは一本に絞り、もっとそれに向かって企画・準備段階で、恐らく限られているはずの「マン・パワー」を集中できなかったのだろうか。
実は前職の関係で、はるか昔の第1回(だったと思う)の開催時にはメイン会場の芝・増上寺会場に参加した経験もあったので、現在はこんなことになっちゃってるのか、という驚きと、それともこれは各地域会場の事情によるものなのだろうか。ともかく相当に残念な気持ちとなった。

帰りのバスの中では何故か、「♪枯〜葉散ぃるぅ白い〜 テラスの午後7時〜」がエンドレスで鳴り始めてしまい、我ながらどんな脳内構造になっているのやら。
ともかく一刻も早く帰り着いて、Chicagoでも聞けばこのエンドレスを頭から追い出せるだろうか。