花火

今日は花火大会のアタリ日。
千葉のこの辺りだけでも、市川市(市制施行80周年市民花火大会)、習志野市(市制施行60周年記念市民花火大会)、佐倉市(市制施行60周年記念市民花火大会)、幕張ビーチ花火フェスタ・千葉市民花火大会…。近所で、なんでこんなに重ねちゃったかな。さすがにこれだけ重なると、受験生から「音がうるさい」と各市役所に苦情がきても止む無し、という気もする。
それにつけても、毎年この時季になると思うのだが、火薬の音をこうして風流に感じられることの幸せな、我がニッポン。
同じこの地球上のどこかでは、同じ火薬の音でも、今、この瞬間にもお偉いさんたちがプライドを懸けて撃ち合っているミサイルに怯えながら暮らしている人たちが、少しも減っていないことを思うと。
先月26日にあった隅田川、今年は連れ立って行く人もいないし、うっかり仕事を入れてしまっていた。去年のようなことにならねぇかなぁ(ゲリラ雷雨で中止)、などとどす黒いことを考えながら当夜、仕事場にいたが、あいにく(^^;今年はつつがなく終了したようだ。
某局の生中継番組は今年も、昨年同様、常連のタレント親子を出演させて、「キレイですねぇ」とありきたりのことばの押し売り連発放送をしていたのだろうか。別に親子じゃなくてもいいような気がするんだけどね。昨年の生放送では、現場がすっかり驟雨に浮き足立っている中、ただひとり樹木希林さんが、「自然相手の屋外イベントだもの、こんなこともあるでしょ」という腰の据わった態度と落ち着き払ったコメントをしていたのだけが、強く印象に残っている。自然相手の思いがけない出来事がプラスだったにせよ、マイナスだったにせよ、こうやって受け止めて愉しみつくしてしまうのが本当の「風流」ってもんじゃなかろうか*1

今日生中継していた地元のケーブルテレビでは、制作予算の関係だろうけれど、解説一切なし、出演タレントもちろんなし、花火の映像と音オンリーで、安心して「環境ビデオ」のように愉しめた。
で、今日は実は公休日だったのだが、直前になって会社から、やはり土曜日は出勤者が少ないので出勤要請があり受諾、土曜日だったが通常勤務。会社からは現場のチーフに、俺が出勤になった連絡が間に合わなかったようで、現場のスタッフ配置表には俺の名前がなかったのだが、いつも通り朝、チーフに挨拶したところ、「来てくれたんだ〜」と笑顔。そんな何気ないひとことだったけど、俺は今日一日、大変気持ちよく仕事に従事することができました。俺の微々たる仕事量でも、ちょっとは頼りにしてもらえているのかな。

閑話休題、そういうわけでこの夏は俺の方から花火大会を無視してやる気満々だったのだが、仕事から帰宅すると部屋から見えてしまうんだよな。丁度帰宅した時間帯がクライマックスあたりで、習志野と幕張が結構な大きさで見え、しばらく楽しんだ。去年もそうだったが、学生さんたちはみな、カレシ・カノジョと連れ立って「現地」集合だったのだろうか、今日も全館でひと気が薄い我がアパート。
やっぱり花火とアカペラは、ナマが一番、と比べる以前に、ナマで見ること以外に価値はないでしょ(とまで言い切る)。
どんなに科学技術が進歩して、例えば部屋でテレビのようなものでリアルに体験できるようになったとしても、そんなことにカネをかけるくらいならいっそ現地に行って、音と光の迫力を直接この五感で、存分に感じる以上のものはないよね。
矛盾するような話なのだが、デジカメも一応持ち出してはみた。しかし初めて試してみた花火モードで手ぶれだらけ。残念ながらお見せできるほどのものがありませんでした。

*1:生命に危険が及ばない範囲でだけどね