がらくた座「唄の市」

16時まで通常通り現場仕事をこなしてから、会場の大泉学園に向かう。
この時点で既にもう、バテバテ。
実は休みを取っていたのだが、前日に出勤要請を受けての出社…してみると、見込み違いだったらしい、という程度の仕事量で、わざわざ出勤要請を受ける必要があったのかどうか。
学生時代は練馬区内に下宿していたこともがあり、また卒業後に脱ステロイド治療に通った主治医が大泉学園だったので、毎週のように通っていたのだが、久しぶりに降り立った夜の大泉学園駅周りは、あの俺にとって好ましかったゴチャゴチャ感はなくなっており、どこに何が残っているのやら、その当時の面影もすっかり思い出せない。
軽く夕食を済ませてぎりぎりになって駆け込んだところ、無人かと思った受付には2名の受付嬢がいらっしゃって、プログラムを手渡してくれ、手洗いを探していたら案内していただいた。
ホールに入ると、光法が連れの男性といるのがまず目に入った。
前よりの右隅の席に陣取ろうと移動すると、方々から顔見知りが声をかけてくれた…すでに、そうそうたるメンバーの客席。
程なく始まった1部・2部ステージは、メンバー正装の、いわゆる合唱スタイル。
メンバー全員が歌いたい曲を持ち寄るスタイルらしく、ジャンルもスタイルもバラバラな曲を器用にこなす。俺にとっては学生時代に歌ったことのある懐かしい曲もあり、自分はあの頃こう歌っていたな、今の俺ならこう歌うだろうな、など思いを馳せながら楽しんだ。
耳が慣れてくると、これだけ声が出ているメンバーだけにもう少し要所要所でピリッとした演奏ができるだろうなぁ、とも思うのだが、指揮者を立てない演奏スタイルでは、これが限界なのかも知れない。
ジャズ・スタンダードも数曲、織り込まれている。合唱スタイルでの演奏を想定したアレンジ。こういうものはやはり、あくまでクラシカルに歌うべきなのだろうか、それとも元歌がジャズなんだからもっとバックビートを強く打ち出すスタイルで演奏した方がいいのだろうか。俺だったら、どう(解釈)するだろう、などと考えてしまう。こういう楽しい迷いが、曲を作っていく楽しい作業そのものだったりする。手本となる音源があったとしてもやはりどこかの合唱団が(クラシカルに)演奏しているものだろうけれど。そういう意味ではこれらの曲の演奏中、意見が合わない箇所が見受けられたので、メンバー間で「統一見解」という形はなかったのかも知れない。別にどちらかに決めなければいけないものでも、どちらが「正解」というものでもない。
客席から子どもが飛び出していったり、譜めくり役の「だくん」まで語りで出演しちゃうなど、知り合い総動員な感じは「オトナなジョーク」だ(そういえば真司さんの姿が客席にないなと思ったら、今夜はステマネ担当だったらしい)。思いつく限りのアイデアで、合唱一色になりがちなステージを楽しませてくれる。
3部はおなじみ、ミュージカル仕立てのオリジナルステージ。
俺はミュージカルが好きな方ではないが、やりたいことを(全力で)やっている人たちを見るのは楽しい。プログラムに掲載されている歌詞から、あらすじは推測できたが、それぞれのメンバーの役柄・個性と相俟って、生で観ると筋書きに「魂」が肉付けされていく現場に居合わせているような感動がある。
なかでもカナさんは、セリフで場の空気をかえる、という気合が伝わってくる熱演。音楽にも通じるところがあるものだが、手段が違えばまた違った困難さが伴うのだろうな、と素人目に感じる。
こういう人がひとりいるだけでも、芝居全体がとてもしまって見えるものだ。
「さぁ、しまっていこー!」(笑)。
主役たるタカシゲの唄も、長丁場にわたる熱演だったが、彼にはちょっと、キーが高かったかも知れない。

今回で24回目を迎えたという、「唄の市」。
カーテンコールでは真司さんはじめ裏方全員もステージに顔を見せてくれた。
お子さんを抱きかかえて出てきたメンバーや、裏方がメンバーのお嬢さんだったり、その友だちが連れ立って客席に(両)親の演奏する姿を観にきていたり、こうして歌をきっかけにした輪が広がっていくのは、すばらしいことだな、と素直に思える夜だった。
こういう健全な雰囲気が苦手な、相変わらず大人げない俺は、演奏終了後、早々に退散させていただいた。