日曜日と成田山

昨日午後、仕事上の話で立ち寄った同僚*1が、ぴゃー!*2 急に涙ぽろぽろ泣かれてしまった。
このところとみに仕事が辛い、ということだった(もちろん俺のせいではない)。
朝は普通に会話をしていたはずなんだが。
本人判断で早退、夕方からは自分の仕事が比較的早く片付いた俺が、「後釜」に入ることになった。どうも泣きたいのは、俺の方のような気がする。
数日後、元気に出勤してきたので周囲の人間としては安堵したが、俺はこの間、全く別のことを考えていた。この一連のやりとりで、俺のオトコとしての賞味期限の終わりを痛切に感じていたのだった。よくて兄、下手すると父親役だったな。
来年から俺は、何をモチベーションに音楽活動したらよいものか(笑)。
…まぁこっちがそういう態度なんだから、相手だってそういう態度にはなる道理ではあるが。

この出来事でなんか気分がクサクサしちゃったから、ではなく、次の俺の公休日には天気予報で雨マークが出ちゃったので、今まで何かとご縁が薄かった成田山へこの日曜日、行ってみることにした。
元々、千葉に越してきてから一度は訪れるべき近場の一級観光地。京成線も「成田開運切符」という往復割引切符を発行するほどだが、駅貼りポスターの「開運」具合の派手さに比べると、当の切符は自販機で買う文字だけのもので、なんとも味気なかったが、こういうのは頓着しない電鉄らしい。

まずは儀礼に則り、京成成田駅から「表参道」を新勝寺境内へ向かう。
大きな寺のある街として、景観上も門前町の風情を残す配慮をされながら、通りが整備されている。









海外からの観光客も多いのでいわゆる和物を扱う商店がぎっしり。古い木造商家も多く残っていて、こうして見て歩くだけでも楽しい。やや自家用車の往来が多いのが残念。


和風小物…?
表参道の一本東側にほぼ並行して、「電車道」という通りがあり、昭和19年廃線となった参詣用の鉄道、「成宗電車」の名残だ。表参道から何の予備知識もなく右の露地を覗いてみたら、一目でそれとわかる土盛りが車道として残っている。帰りはこちらを歩いてみることにしようか。

話を表参道に戻すと、歩道には干支の石像が設置されている。
来年の干支。

コンビニの看板も、景観配慮の色使い。

要所要所には手洗いが設置してあって、ありがたい。

この地元消防団の倉庫裏には無料休憩所もあり、ここの手洗いを借りたのだが、ポケットのデジカメがうっかり落下。モニターがドット抜けのような状態になってしまった。しかしこうして見る限り、以後の撮影にも問題はなかったようで、モニター画面も帰宅してから充電したら直ったようだ、ほっ。

こちらは干支の石像とは関係なく…。

「長命泉」という銘酒の蔵元あたりで左に緩くカーブする。このあたり、住宅がある裏通りもそれなりに風情がありそうだ。

薬師堂から右に別れて急に細くなった参道は下り坂、ここからは成田名物のうなぎや煎餅を焼くにおいで煙っており、門前町の色合いがますます濃くなる。参詣者のための大きな旅籠もいくつか残っている。







といわけで、こちらが絢爛豪華な総門。

やはり派手な狛犬に迎えられて仁王門をくぐり抜け、急な階段を上ると、テレビでよく見る境内の光景が広がる。




写真の立派な建物は、1968(昭和43)年建立の近代的な本堂ではなく、1858(安政5)年建立、かつての本堂だった釈迦堂。



本堂左手からは出世稲荷に続く参道の紅葉。

実は以前テレビで見て以来、参詣者が奉納した絵馬や額を納めたという「額堂」を、一度この目で見たかったのだが、残念ながら東日本大震災の影響で現在は修復工事中だった。

本堂裏手の「奥の院」、建造物はなく森への質素な門がしつらえてあるだけ。この門の両側に残る梵字が刻まれた石盤は、歴史的価値が高いものらしい。
そして「平和大塔」へと道は続く。




そしていよいよ「お不動様の御庭」と呼ばれる成田山公園へ。
大きな池を擁して新勝寺の北から東側に広がっている。
淡く期待していた紅葉は、さすがに限りなく終わりに近かったが、ぎりぎりその残滓を感じることはできた。






書道美術館脇には、本物の水琴窟が! 備え付けの柄杓で水を垂らすと、土の中に埋められた特殊な形をした壷に雫があたり、風鈴のように高く澄んだ音を聞かせる。こんな繊細な音が楽しめたということは、当時は相当静かだったんだな。

さて、冬の短い日が山向こうに落ちてしまう前に、電車道を伝って駅へ戻るとしよう。




*1:但し犯意なし

*2:こちらは俺の、心の叫び