1周年と、1ヶ月

現場が変わり、歩行距離も増えたので、単純な興味から歩数計で測ってみたくなった。
とはいえ仕事量は毎日に違うわけだが、ここ数日測ってみた平均値は、通勤往復で計上した歩数を引くと、13,500歩前後。一歩の歩幅を仮に60cmとすると、歩行距離に直して8.1kmか…。東日本大震災のときみたいに、職場から淡々と音楽聴きながら歩いているだけ、ではないので、消費エネルギーは比較にならず…こりゃ痩せるし筋肉もつくわけだ。
労せずして、費用もかけず、特段の運動も必要なしに、自己ベスト体重。上腕には今まで無縁だと思っていた、男らしい筋肉もついてしまった。
身体を動かすことは嫌いではなかったが、中学で理不尽な体育教師と出会って以来、すっかり運動嫌い。それがたとえ健康維持のためだろうと、わざわざ運動することに喜びを感じない。幸いなことに今まで、運動不足で懲りるような大病の経験がないこともある。
そういえば千葉に引っ越してきたときには、まだ右手にリバウンドの影響が残っていて、雑巾が絞れず拭き掃除ができない有様だったはずだ。
こんな肉体労働の仕事が決してラクなわけではないが、今はここで知り合うことができた仲間の顔を思い浮かべると、寒い朝でも苦もなく出勤できたりする。
前職のデスクワークでの精神的苦痛よりは、この程度なら肉体的苦痛の方がマシだったらしく、体力的なシンドさへの個人耐性には、なにより俺本人が一番びっくりしている。

その仕事の方は、「全国一斉大掃除月間」による繁忙期が続いている。因みに清掃業ではありません。
単純作業という性質上、とても雑多な人材が集まっている。
俺のような得体の知れないのから、もちろん正社員を目指しながらも不本意ながら、という人、それに発達障害精神障害を抱えている人、少し前なら俺ですら想像だにしなかった幅広い年齢層の男女、当然教育程度の高低差も幅広い。
俺のように、前職場の激務や人間関係に疲れちゃった人も散見されるようで、とりわけ元IT関係者が多い印象をもっているのだが、「偏屈」な俺と普通にコミュニケーションが取れているので、特別に能力が低い人たちとは俺には思われない。
去年の6月までは俺も、そんな「労働多様性」やら「中間就労の必要性」を声高に標榜していた*1福祉の職場にいた、はずなんだが。
今にして思えば、絵に書いたように画一的な、大卒の、「開いた人」たちばかりだったように映る。
中間就労のモデル事業を模索する中で、発達障害の人たちが一緒に働いていたが、ここのように一緒に仕事をするのではなく、「配慮」をいいわけに特別扱いしていたように思える。
仕事の性質の違いと、俺以外の同部署スタッフは全員が「担当」を持っていたことへの僻みが多分に入ってはいるが。
ともかく俺は、あの職場の中ではついに、同じように「開いた人」になることはなかった。
こんなことがあった。
一緒に働いていた発達障害の人に、同僚(こちらも発達障害者)の出勤曜日について尋ねられたが、咄嗟に答えられないでいたら、チーフにロッカールームまで手招きされて「あんな答え方ってある?」と詰問された…だって覚えてなかったんだもん。
また、多忙を極めた俺の仕事がスケジュール通りに運ばないことに業を煮やした別の上司から、「手帳をもっと大きいものにしては」といわれた。泣く泣く買ったばかりのエトランジェ・デ・コスタリカの手帳を捨てた。すぐに買いなおしたA6版の手帳は吉祥寺某店のもので、およそこのあたりでは入手困難なデザイン(といってもネットショップな世の中だが)のものにするのが、俺の反発と意地のあらわれだ。今は退職しちゃったものの、これ以降毎年この時期に吉祥寺に買いに行くのが楽しみな習慣になった。
どちらの上司も女性で、個人的な偏見を承知でいうが、「相手が100%自分の思う通り(の態度や容姿)でないと気に食わん」というのは、俺の知る限り男性より女性上司の方に多いんではなかろうか。男女の脳構造の違いに起因する、所有欲や支配欲への男女差ではないかと思い込んでいる。気分を害された女性がいたらゴメンナサイ*2

そういえば、今の職場では毎日普通にある、職務上感謝されたり褒められたりした記憶が、前の職場では一度としてない。俺と前後して辞めちゃった人からのものを除くと。
まぁこれは、実際に俺が期待されていた仕事をこなせなかった、ということもあるだろうけれど。
これが俺にとって初めての「福祉の職場」経験となったことが、俺の中に少なからぬ衝撃として残ったものらしい。
今は俺にも、一見他愛なくささいなことの声掛けや情報交換の大切さが、身に染みてわかる。時として仕事の進捗だけでなく、生命に関わることすらある「現場」。
実は、今の上司が代わらないうちは微力ながらこうしてお手伝いができればとすら思っている。

こんな風に、様々なことを繰り返し頭の中でめぐらせながら仕事に従事していると、一日があっという間に終わる。
男女差といえば、2つ以上のことをこなす「脳」力は女性の方が優れているというが、この程度の単純作業なら男の俺にも丁度いいものらしい。
時折無気力になることはあっても、相変わらず退屈知らずな人生、単純作業にも飽きることがない。
よく男の子が、ソフビ人形やミニカーで、ひとりいつまでも、「ぶぅ〜ん、タァ〜! ドカーン、バーン…」などとやっている頃から、どうにも成長していない気もするが…。

それでもこのトシになって、「人として大切なこと」の学び直しにもなっている気がする。
実は先月の自身の誕生日で、そんな仕事への従事も、丸1年を迎えていた。

既報の通り、名古屋ライブの直後あたりから、そんな俺の都合とはもちろん全く関係なく、別部署拡張のとばっちりを受けて、仕事場が徐々に「外」に移動した。これが夏場だったら、快適に思えたんだろうが…。
お陰で同じ仕事をしているはずの人たちとはちょっと隔絶された作業空間になっており、着任直後は俺が少し仕事を教えたことがある若者2〜3名と、「チーム」のような態勢になっている。年齢のせいか俺が進捗管理のようなことをしていることも多くなった(給料上がってないんすけど)。
一方、伝え聞くところでは、「中の人たち」は毎日あちこちで小さな衝突があるらしい。
仕事内容自体は、俺は早い段階から携わっているのだが、仕事場の位置に関わらず、会社の違う人たちと普通に会話ができないと回らない立場だ。
ともかく、お陰で顔を上げれば湾が眺められる(仕事中はそんな余裕はないが)。「海の男」色が一段と濃厚に。
時々、入出港する船からの汽笛が近く聞こえる。
容赦なく吹き込んでくる寒風と氷雨には、本当に閉口するので、天気予報には毎日敏感になった。
身体を動かしていないと凍え死ぬだろうし(大げさ!)、じっと立っているだけでも相当に体力を消耗する、とはよくいうが、頭では知っていたが身を持って経験できたのは昨年の冬で、今のところ風邪ひとつ引かない今年は、自信に変わっている。
こうして夏の酷暑と、冬の厳寒に耐え切ったこの1年。2度目の冬を迎えた。
何より空気が冷たく澄んでいるこの季節、ここから見える夕景は格別だ。
…BOSSのホット缶コーヒーがウマいんだぜ。

*1:なんと厚生労働省のモデル事業実施団体でもあった

*2:ここを読んでいる女性(の知人)はかなり限定されていると思うが