惜別、京成3300系

異動先の職場の都合で引越しをせかされ、わずか2週間で東京の西から山手線を飛び越えて千葉へ越してきた、2012年5月。引越し先の部屋選定はネット上で済ませた便利な時代。実際に現地を見せてもらってからは、不動産屋の担当者が、オフィシャルな業務は休業中なGW中も大奮闘してくれたこともあり、鍵の受け渡しまでがあっさり終了。慌しさにかまけて感謝も十分に伝えられず、申し訳なかった。
元々千葉県内に親類知人もなく、これまで東京の西側にしか住んだことがない人間にとって、京成線沿線は未知の世界だったので、学生時代のように、ひとり暮らしするなら線路脇の部屋、などと考える余裕もなかったし、改めてそこを走る車両の魅力について思いを馳せることもできなかった。
しかし徐々に使い慣れてくると、京成〜都営浅草線の乗り継ぎで一気に五反田まで出られることや、都内への便が実は乗り換え駅である日暮里だけではなく、ことのほか便利がいいことに、改めて気付かされる。
初めて異動先に打ち合わせで赴いた4月、偶然乗り合わせたのが復刻「赤電」の3300系だった。
その後、本線利用者の俺にとって実際に利用できる機会はそれほど多くはなかったが、それでも残業帰りに利用する4両編成の上り列車や、千葉へ足を延ばした際の千葉線での運用、職場デスクでの昼食がいたたまれず線路脇でコンビニのおにぎりを食べていた晴れた日に、間近に通り過ぎるのを目にしたりしていた。
通勤電車って、「戦友」とか「同志」、みたいなものかも知れない。
昭和43年製造の3300系は、さすがにその後、徐々に(運行)本数を減らしてきたので、最近はすっかり見かけることがなくなっていた。
懐かしく思い出されるのは、同じ時期に同じ浅草線への相互乗り入れ用に製作され、先に引退した京急1000系のそれより少し柔らかい印象のコイルバネ台車の乗り心地。力強いモーターの音と、一歩一歩、線路のジョイントを刻んで歩んでいく、あの感じ。
2月下旬、京成線各駅の駅スタンド配布で、さよなら列車の運行お知らせとスタンプラリー台紙が配布され、「46年間ありがとうございました」とともに、「生涯通勤電車」の文言があった。
京成線の電車は、レールの幅が特殊なこともあり、地方私鉄に払い下げられることがなく解体されてしまう。また、通勤電車一般にいえることだが、いわゆる博物館などに保存されることが少ない。高速鉄道の代表、新幹線や特急電車はもちろん「鉄道技術の粋」として、史料価値が高いのはわかるが、それらの技術はある日突然、技術者がひらめいた、というものではなく、長い時間をかけて通勤電車で実用化され、安全性が確認されたものから発展してきたはずで、誰もが一番身近に感じていたものがある日突然、気がつくと姿を消していて何も残っていなかった、ということが、鉄道に限らず何事につけ、それでいいのだろうかと思う。
復刻「赤電」引退の際は、休日出勤ではあったが時間に融通がきいたので自身で撮影することができ、またありがたいことにこの手のイベントにしては、ファン同士罵声が飛ぶような現場にならず、奇跡的にいい思い出として俺の中に残っている。
同系最後の運行になる今回は、残念ながら勤務時間内で、この「祭り」に参加できなかった。
そのせいか当日の仕事帰りに乗った夜の通勤電車は、いつも以上にさびしいものに感じられた。数時間前には相当に賑わっていたことを思うと、大きなイベントが終わった後のあの、なんともいえない静かな余韻だけが残っているような気がした。
せっかく駅から近い場所に、住んでいたのになぁ。

帰宅してから、早速参加されたみなさんの力作を、ネット上で拝見した。
下り方先頭車は特急「成田山」を復元したヘッドマーク。上り方(最後尾側)は片側のヘッドライト脇に大きな涙のしずくが貼り付けられて惜別の意をあらわすという、小洒落たデザインだったらしい。
しかし、みんな上手いなぁ。どこで撮ったものかわかってしまう俺も俺だが、あの場所でこういう風に(画面を)まとめちゃうのか、などと終始関心しっぱなしだ。俺はこの間、鉄道写真専門、というわけでもなかったし、と自身にいいわけしてみちゃったりしながらも、カメラ熱が再燃しそうな気配。
たった一度しかない「ハレの舞台」、俺はカメラに収め損なったが、通勤電車に相応しいのは利用するこちらも「普段着」姿で、もしかしたらあまりに分不相応な大舞台に引っ張り出されて、通勤電車としては少し戸惑っていたかも知れないな、などと電車を擬人化してしまうのが、テツの習性(病気?)、というものらしい。決して多いとはいえない、自身が撮った3300系の「普段着姿」の写真を眺めながら、そんなことを思ったりする。

実際の「現場」は、「写真を撮りたいファンが「押さないで」という社員の制止を聞かずに押し合う危険な状態に。子供が人ごみの中で圧迫され、ファン同士の怒号も飛び交って後味の悪い引退劇となった。」(毎日新聞
とのことだが、大変残念なことに、もはや「風物詩」なんだなこの程度は。
現実はまぁこんなもんで、やっぱ行かなくてよかった、というところか。
もっとも毎日新聞の報道は、「桜」の一件*1以来、俺は信用しないことにしているが。

*1:2012年4月の茨城版に掲載された、樹齢300年のシダレザクラを紹介した記事。2011年の台風により伐採されていたのを記者が現地確認しないまま、過去の写真とともに掲載してしまった事件。