認知症サポーター養成講座

有給の申請をした先月当時は、
まだ俺自身の先行きが不透明だったので有給消化を兼ねていたのだが、どうやらこうやら具体的な仕事の話になってきた様で、一安心。
有給休暇をとった理由は、駅スタンド配布の市報に小さく、「認知症サポーター養成講座」の開講予告が掲載されたからだった。
巷間、声優の大山のぶ代さんが認知症に、とのニュースで衝撃が走っていたが、我が家もご多分に漏れず認知症「若葉マーク」世帯となった。加えて実は前職で、この講座の講師派遣と申請・報告手続き一切を担当していたのだが、実際の講座会場に足を運んだことがないのがずっと心残りだったのだ。
俺の他の担当業務での進捗が芳しくなかったために、例のごとく上司から「同席まかりならん」となったためだが、俺が本件を担当するにあたっては引継ぎ資料といったものがあった記憶がない。前任者がバタバタと辞めていったのだな、といや〜な予感がしたものだったが、文字通り関係者に探りを入れながら、手探りで(引継ぎ)マニュアルを起稿していったことだけが、俺の思い出になっている。
内容は2時間程度の座学で、受講したからといって何か特別な活動を義務付けられたり、そのための取得資格といった類のものではない。最近習志野市でも防災無線で行方不明者のアナウンスが時々流れるが、認知症への基礎的な理解を通じて、こうした認知症の方を街中で見かけたとき、咄嗟に早めの対応ができる「市民」を全国的に増やそう、という運動だ。
俺のように個人の興味で出席してもらうのはもちろんのこと、意識の高い職場では、会社で講師派遣を依頼して開催するケースも増えてきている。日頃から人と接する機会の多いスーパー店員やバス運転手、駅員、消防や警察官など。官民不問で様々な職種の方たちが積極的に受講してもらうことで、結果として全ての病気や障害の有無に関わらず、暮らしやすい街になっていくと思う。
講座の開催は5名程度からの任意のグループであれば可能で、各自治体に必ずある「高齢者福祉課」といった名称の部署が窓口になって、講師の選定・派遣から派遣元の団体との連絡・調整を全てやってくれるので、ご興味がある方は相談してみるといい。年間予算を消化しないと次年度予算を減らされちゃう公務員の方が親切に説明してくれるはずだ。俺はご存知の通り公務員ではないが。開催費用はかからない*1

今日の講師は介護者(経験者)と看護士、それに飛び入りで(?)医師。
患者のご家族である介護者からは、警察官に保護されたとき、「施設に入れたらどうですか?」といわれたという体験話が、俺の印象に残った。
この警官は、今や全国どこでも施設の入居待ちが数百人待ち、という現状を知らなかったのだろうか。
「無知」は「無神経」なことばになり、偏見になる。
講師資格を持つ方々も、このように認知症への関わり方は多様で、もちろんみなさん講師専業ではないので、今日のように介護者である場合、医師・看護士などの医療関係者である場合、福祉の現場関係者である場合などがある。テキストやDVD上映を使った概論説明は、誰がやってもそう変わらないだろうが、個別の体験を話していただく部分は、講師によって大きく違う部分で、大変興味深かった。
よく身体障害の場合、介助者がその代わりを担う、という発想があるが、認知症の場合はこれが人と人との、コミュニケーションに関する部分になるようだ。
「認知」つまり時間、場所、状況などがわからなくなるので、何より本人が一番、不安なわけで、挨拶したり名乗ったり、という比較的簡単なコミュニケーションから、時間や場所、経路などの周囲状況を、まめに確認して伝える、など。
何のことはない、それって人間同士の「絆」*2そのものではないか、と思う。
全ての出来事をゆったりした気持ちで受け止める、相手の自尊心を傷つけない。
これは俺が(闘病)経験上で無意識に考えてきた「人として生きる」こと、そのものじゃないのか。
ともすると今の世の中、受け止める側がゆったり構えていられないことばかりで、これが一番難しいことな気がするが。
所詮自分と同じ人間などいないし、家族のあり方、貧富格差の拡大や、心の問題、病気、怪我や障害…「普通」などという概念は今後ますます希薄になっていくだろう(これにしがみつきたい人はいるかも知れないけどね)。
日本人は同一民俗国家と信じているので、相手が「自分と同じ」こと前提な暮らしを長いこと続けてきたとよくいわれるが、これからは相手と自分が違う人間だという前提に立って、お互いが認め合うということからしか、物事が始まらないような気がしている。
今の俺なりの視野で社会を眺めたときの実感、いってみれば「肌感覚」のようなものだが、こういう話はさらに長くなるので、機会があればまた。
ともかく、受け止める側も、ゆったりと受け止められるような生活ができる世の中であって欲しいよな。実現に当たって必要なのは、決してGDPの高さや経済的な豊かさだけでも、もちろん集団的自衛権でもないと思うんだ。

俺は久しぶりに、早く着き過ぎた会場・京成津田沼駅で、駅なかのパン屋「マッターホルン」のデッカイコッペパンでの昼食が摂れたので、満足。
受講を終えたその足で、久しぶりに実家へ向かった。

*1:確か会場費だけかかったと思うが、公民館の会議室などを利用すれば、そんなにはかからないだろう。行政区によっては会場手配もしてくれるところがあるかも知れない

*2:東日本大震災以後、このことばが安っぽくなってしまったようで、あまり好きではないのだが