効率悪いのも、悪くないな

この日、俺は仕事が休みだったのだが、始業時間とほぼ同じ頃に救急車騒動で一度、起こされた。
同じ棟の3つ離れた部屋をたずねてきた女性の呼びかけに、住人からの応答がなかったらしく、その数分後の救急車到着、という顛末だったらしい。ほどなくして自分の状況がわかっていない様子の「家主」が搬出されていった声が聞こえた。
といわけですっかり二度寝になってしまったが、身体がダルくなってしまう前に起き出すことに辛うじて成功して、軽い朝食後、実はまだ一度も行ったことがないオフィスの方へ顔を出す。
時間の約束はしていなかったのだが、俺が逆の立場でも、時間の約束のないまま昼過ぎまで待たされるのは嫌だしな。
事務所の構えは最初に面接で出向いたところと一緒だった。
インターフォンで名乗るとすぐに、右手の部屋から顔見知りの担当者が出てきた。その場で短く立ち話。俺は前の職場で使っていたIDその他を、無事に返納した。

本来なら今日の予定は、整体院〜床屋〜オフィス、が一番効率のいい立ち回り順かとも思われたが、ハナから思いつきで、最遠方から始めてしまった。
今日はアパートのエレベータが点検日で終日使えず。この暑い日に限って、自室のある上階まで都度、歩きになる。今思えば救急車騒動のときは、まだ点検作業前だったわけか。

その、オフィスへ向かう途中。
京成線で途中駅から乗ってきた若い男性に、俺の目が留まる。若い頃の俺を思い出させる「ウリふたつ」。
赤黒くガサガサで固くなった皮膚は表情を作りにくく、眼鏡をかけていて、身につけている衣服までが同じ材質、色。素人目に俺が診ても、アトピー性皮膚炎の治療が長じて、ステロイド外用剤の副作用が出てしまっている状態で、うっかり引っ掻いてついた血が目立ってしまうような色や、ひっかき傷が治ろうとする際に出る血小板と一緒に張り付いて着心地が悪いような材質のものは、身につけないから、身につけるものの色(や材質)までが似てしまうのだ。
俺にはその「薬害」がもたらしている「痒み」の程度までが容易に想像できてしまうので、なんとも切ない。一旦痒みが始まると、表皮にいくら爪を立ててみたところで、骨の内から次々に湧き出してくるような気が狂いだすような「痒み」には、絶対に直接手が届くことはない、もどかしさ。大の大人でも、うめき声を上げずにはいられない。
かといって一気に薬を絶てば、運良くソレを乗り越えられれば今の俺くらいまでには緩寛する可能性もあるものの、一旦はどれほど長く続くかわからない、俺が辿ったのと同じ「地獄」を見ることは明らかで…。
俺は今ももちろん、アトピー性皮膚炎そのものの症状が治らない箇所はあるものの、身体から薬の影響が「抜けた」今は、明らかに薬でなめされた皮膚ではなく「自分の皮膚」が戻ったように見える。皮肉なことに、その症状がある箇所もかなり限定的になった。大げさな言い方をすれば、炎症が残っている箇所を除けば黄色人種の、人の皮膚の色をしている。
もちろんアトピーの痒みも時々あるわけだが、健康な人たちがときに無神経に「我慢しろ」といったりする痒みとはこの程度のものだったのか、と思う。
しかし、今でもつい目がいってしまうな。外でこういう人と出会うと。

昼前に家の最寄り駅まで戻り、このままいつもの整体院に寄るという手もあったが、午前の施術終わりの時間帯にバタバタ駆け込む、というのも何となく嫌だったので、先に床屋へ行くことにした。

午後の開院時間、1番に整体院へ。
すっかり顔見知りになった院長に、さっき床屋で切ってもらったばかりの三分刈り頭をサワサワされる(笑)。
俳優・今井雅之さんが今朝未明、大腸がんにて逝去、とのニュース。本人のカミングアウト会見からほどなかったのは、やはりまだ若かったからか。この会話の端で院長のトシが俺と同じことが判明したりしたが、今井さんと同じ歳までなら俺の余命もあと数年、だったりするのか…ちょっとリアルだ。
いつも通り丁寧な施術をしてもらい、身軽になって帰宅。テレビで「相棒」の再放送を観ながらいつの間にやら寝てしまった、らしい。

16:30 GLの録音を仕掛けてから、数駅先に向かう。
実は以前、職場で不本意な別れ方になってしまったKさんだが、転職前に本人から聞いていた情報によると、勤務先の送迎バスが、俺の家に比較的近い、この駅着発だということで、何せ本人とは連絡手段がないので、時間にあたりをつけて出かけてみた。
部屋を出たところで大家さんの奥さんと行き違う。
「これからお仕事?」
「ちょっと、友だちに会いに」
「(エレベータの点検)工事、終わりましたよ」
というやり取り。
改めて口に出すと不思議なもので、今日はなんだか、Kさんと会えるような気がした。
普段は来ない駅のスーパーで、せっかくなので夕食のおかずを買ってみた。
ほどなく着いた送迎バスから降りてくるKさんの方から、俺を見つけ、
「…あれ?」
Kさんは前髪をバッサリ切っていて、雰囲気が少し変わっていた。
早速、仕事で細かいことが気になり(すぎて)転職を考えている、という。コラコラ。明日、東京某所で面接なのだそうだ(勤務地は県内らしいが)。「今までの人生の中で、初めて誤った選択になったかも」などと、先に転職希望で飛び出しちゃったことには、少し弱気にもなっていたようだ。今回の転身判断は、早い。
それから、ほかの仲間の動向情報を交換した。
俺は、そんな色々と彼女なりに大変だった中、いつものような短気を起こしてカレシと別れてしまっていなかったのが、ひとまず嬉しかったのだ。カレシは相変わらず、彼女の話をまともに受け止めている風でもなく冗談で受け流している、と本人はいうが。
俺にいわせりゃ、そんなふたりは同じ程度に不器用なだけ、に見えるんだがね。
互いになんだか話し足りない気分は残ったが、俺はバンド名刺を連絡先として手渡し、次の電車に乗るよう促して、駅のホームで別れたのが19時前。

一見効率悪い移動も、悪くはなかったな、と思えた一日。
予定通りにいかない、ということは、不意の喜びがもたらされる可能性も秘めている。