腕時計

元来人込みや繁華街があまり好きではないのだが、仕事休みの今日は近所の街、津田沼へ。
腕時計の電池を交換*1してもらうことが一番の目的。
仕事場が変わり、激務になったのに伴い、休憩が細かく入るようになったのと、俺だけでなくみんな、まだ配属先が固定となっておらず、様々な仕事を覚える段階で毎日仕事内容と場所が変わる。このため、庫内の時計が見える場所にいられるとは限らないので、時計が必要となったのだ。
思えばずっと、もう何十年も、腕時計ではなく懐中時計を愛用してきた。その懐中時計も丁度電池が切れたタイミングで、腕時計に戻すことにした。
静岡で叔父が亡くなって思い出した、というわけでもないが、亡き祖父から高校入学の記念に贈られたものだ。
大学を卒業する頃、ステロイド剤を止めたことによる重篤なリバウンド症状で、腕時計どころか外出すらおぼつかなくなった。その後、皮膚症状は10年近くかかって安定したが、ステロイド剤を身体のあちこちに塗るために使っていた手の周りには、最後までしつこく症状が残っていた。傷だらけの腕に、金属の時計をすることはもちろん痛いし、傷に張り付けば不快だ。傷にならなくなってからも、金属アレルギーが不安で、ずっとためらわれていた。最近は同じ金属でも、材質によってはアレルギーを起こさないものもあるのだが…。
それもふと気づくと、この機会に試してみよう、という気になるほど、症状が好転していた。
治らないものの方が多い、「持病」。「治る日」を夢見ない人はいないと思うが、意外にも「治った日」というのは、ある日突然スベスベ、という特効薬的なものではなく、本人が病気を忘れた頃に、改めて病気を意識しない生活を送れていることに気づく。「薄紙をはがすように」という表現がぴったりかも知れない。
仮に金属アレルギーらしき症状が認められたときは、使用を中止すればいい、という軽い気持ちで、時計屋へ。結構繁盛しているお店らしく、他のお客さんの対応をしながら店員の方から俺に声をかけてくれた。その場で見てもらい、事前にネットで調べてきた最低料金ではなかったが、これは恐らく生活防水になっているためだろう。
時計をお預けして、街をぶらぶら、30分ほどウィンドーショッピングをした。
そういえば楽器屋というものに、すっかり足を運ばなくなった。
CDが欲しければレコード屋だし、採譜にしてもオリジナルアレンジにしても、作譜は自前。五線紙すら最近はすっかりPCの中だ。アカペラで「楽器」といえばピッチパイプくらいだが、これも一本あれば相当年数使い続けられるものだし。アカペラ愛好家というのは全く、楽器屋にとって商売相手にはならないものらしい。
結局、スティックを物色してはみたが、全く気持ちがノらず。ほどなく本屋に移動した。

時計屋に戻り、時間を合わせてもらってある腕時計を受け取る。
なんだか始めて電車通学をするようになった高校時代に戻ってのワクワク感で、腕に巻きつける。
本当に何十年ぶりだろう、腕時計をするのは。
別に分刻みの予定があるわけでもないのに、つい頻繁に左腕を見てしまうな。

文字盤を見ていて思いだした。
今日は日曜日で、今から行けば京成津田沼駅で、シティライナーの通過時間に間に合うな。ここで今日初めて、カバンからデジカメを取り出し…ああ、またハナが切れちゃった!(どうもファインダー内で、運転台あたりを無意識に基準として見てしまう、俺の悪い癖らしい)

*1:JR津田沼駅前にはな〜んと、実家の吉祥寺同様、PARCOがあるのです! A館3階の「TIC TAC」は、オープンなフロアで入りやすかった