船橋親水公園花火大会

仕事帰りのバス待ちの列で、職場で恐らく最年長のSさん(男性)と一緒になった。
「やっぱり着替えるとさっぱりしますよね。しかし、さすがに逞しいですね、普段は着やせして見えますね」とお褒めのことば。
実際、この仕事に就いてから、猛烈に痩せた。と同時に筋肉もついた。日々着実に、結果にコミットしている。
さっきバスに乗る前、トイレの流し前で着替えていたのだが、実は汗だくの上に着替えても、あまりさっぱりとはならない。贅沢をいえばやはり、シャワーでひと流ししたいところだ。
それでもクーラーの効いたバス車内でじっとしていると、着替えないでいるよりは幾分かは爽やかだ。
というわけで残業蹴って、初めてとなる船橋の花火大会へ向かう。
打ち上げ会場にほど近い「ららぽーと」前あたりには、屋台がたくさん出ていて、稼ぎ時だ。俺は目もくれず、隣の建物「Vivit」内、いつもの「創菜いい菜」へ寄った。いつもこの時間帯、割引お惣菜が楽しみなのだが、今夜はツマミ惣菜を中心に増量中。普段売っていないお好み焼きと、冷たく冷えた飲み物を買った。PETボトルの飲み物は店の外に氷水槽に浮かべて売っているが、こちらは見た目涼しげでも自販機や通常販売の冷蔵庫内より冷えていることはまずないので、通常価格での販売ならスルーだ。

人の流れは俺が向かっている方向とは逆に向かっており、しめしめ、事前の読み通り。隅田川と同じ状況だ。途中、信号待ちの群集にはさすがに身動きの取れない危険を感じたので、一本裏道へ迂回したりしつつ、目的地へつい足が急ぐ。
なにせ通勤ルート上で土地勘もあり、仕事帰りにしても順調すぎて、打ち上げ予定時刻の30分前に、目的地到着。実際に打ち上げが始まってみないことには、どれほどの大きさで見えるかはわからないが…。
ラフな格好が自信ありげに見えたからなのか、やたらに話しかけられた。原住民と間違われたのだろうか、とも思ったが、どちらかというと見るからに「ぼっち」だったから、話しかけやすかったのだろう。
毎年隅田川で花火を見ていた、というおじいさん。今年はこちらに引っ越してきて初めて、この船橋での花火だという。両方見た俺の感想も、さすがに隅田川と比べると、ちょっと地味か…。
打ち上げ数8,500発も、隅田の20,000発に比べると見劣りするが、まぁあちらは打ち上げ会場が二箇所同時だ。
打ち上げの間がやや間延びすると思っていたら、どうやら今年はオーケストラの音にあわせて、という趣向だったらしい。もちろん俺が花火を見ているこの(やや離れた)位置で、オーケストラの音が聞こえるわけもなく、逆にこれだけ離れた位置でも聞こえるような「オーケストラ」だとすると、どれだけの爆音だよっ!? と地域の受験生たちから一斉に抗議の電話が市役所に殺到していただろう。
もうひとつやや残念だったのは、実際、これほどゆったり眺められるとわかっていたら、やはりビールを入手してくるべきであった。
更に思うに、これがカノジョ連れだとしたら*1まず間違いなく、「もっと近くで見たい」といわれるところだったろう。俺はこのくらいの大きさでも十分に満足だったし、音もこれくらいで十分堪能できるわけで、やはりひとり身の自由と身軽さは、何ものにも代え難い。
ほらみろ、そこここで、ゆかた姿のカノジョと若い男が険悪な空気に…。

花火が破裂する音に、反射的に身を屈めたり脅えたりすることのない「平和」。日本人は、21世紀の今もこうして、火薬の破裂する音ですら季節の風流として感じることができる。
これも憲法9条のおかげだ。

デジカメの「花火モード」を試してみたが、やはりちゃんと三脚を立てないとブレてしまうものらしい。

*1:特定の誰か、というわけでなく、あくまでも一般論として