夏の思い出

先日、腰痛の再発で駆け込んだ、すっかり顔なじみになった整骨院の院長とも話していたのだが、その昔の家は腰痛のようにハンディを背負った人間に、やさしくなかったよぁ、という雑談になった。
院長も土間のある家で暮らしたことがある、というが、俺もギリギリ、民俗館で見るものでなく実際に知っている世代だ。
小学生の頃だっただろうか、夏休みに、父の実家である静岡の祖父宅に行ったときのこと。
一部しか舗装されていなかった舗道の両脇にはドブ川が流れていたが、水はきれいだったらしくてタッパーで魚がすくえた。
近所の川では家族で泳いだが、俺はお尻から浮き輪にはまったまま抜けなくなり、かなり下流の方まで流されてしまった。不安な川面から見あげたローカル線の鉄橋はとても大きく、高かったように思ったのだが、数年前に改めて訪ね歩いたら、川幅は俺の記憶よりはるかに狭く、鉄橋も小さいものだった。
その夜だったか、歩き始めたばかりだった妹が、土間に落ちて額から流血…。
風呂桶はこの地域特有の五右衛門風呂で、底板が動くのが面白かった。
2階の物干し台からは、天の川が見えた。
この家での夏の思い出は、この1回だけだったが、 なぜか強烈な思い出になって俺の中に残っていて、夏というと必ず思い出す。

なんか事件を起こす若者が異口同音に「人を殺してみたかった」などというのが気になった昨今。
SNSだのネットゲームだのでなく、こういう直接、五感を総動員するような過ごし方に身を投じることができると、心身ともに健康的で、末永く記憶に思い出に残る夏になることだろう。山でも海でも、もしかしたらちょっとした怪我くらいはすることもあるかも知れない。けれど言い古されたことだが、そういう自らの「痛み」の経験や五感の働きによってのみ、他人への想像力というのも、少しずつ身につくのかも知れない。

というわけで、どなた様も残り少なくなっちゃったが、有意義な夏休みを。
家族旅行が年間行事だった数年前までは、知り合いの山荘に行っても丸2日は、なんとなく都会暮らしのリズムが取れなかったもんだった。慣れると身体や五感が、「現地リズム」に切り替わる瞬間がわかるようになる。
もっともオトナになると、長い休みが取れないだけでなく、外界から受けるこうした刺激への感受性や反応も、段々と鈍くなってしまうけどね。

今年も夏休みというものがない俺は、熱中症がらみか、久しぶりにちょっと心不安定になってるかも知れません。
ここんとこバンド関係だけでなく、友人からの近況連絡やお誘いメールに対しても、返信したメールが直球すぎるのかどん引きされちゃったようで、「返信ストッパー」…(^^; やっぱ俺ってば、変?
テレビを観てれば、戦中・戦後の再現ドラマで不意に涙が止まらなくなっちゃったりして。別に哀しいシーンでもなかったんだが、謎。
ここでも俺らしい(^o^)長文日記が続いていることからして、精神が不安定になっている兆候なんだなどうやら。
先週なんぞ、またぞろ腰痛で3日ほど欠勤しちまったわけで、外見はともかくも中身は着実に去年より経年劣化しているんだな、割とズタボロな8月…で、整骨院に行って、本文冒頭に戻る。