読売巨人軍発祥の地

そういえば谷津には、こんなもんがありました。

…残念なことに、野球賭博問題でそれなりに賑わっている模様。

(「読売巨人軍発祥の地」碑、説明看板より)
昭和9年4月正力松太郎氏は日本野球界の発展、健全娯楽の育成のため全アメリカ選抜チームを招聘することとした。昭和6年の第1回招聘につぐ2回目の快挙であった。ベーブ・ルースルー・ゲーリック等一流選手が名をつらねる米チーム招聘の報が一度び伝わるや日本中は歓呼の声をあげて歓迎した。
これに対する全日本チームは六大学の名選手を中心に編成された。母校の名誉にかけて参加した日本軍選手はこの谷津の地に集結、ここを練磨の庭として、心魂を傾けて策を練り技を磨いた。
かくして日米両チームは東京をはじめ全国各地を転戦、いたるところで爆発的熱狂の渦に巻き込まれた。
滞日2ヶ月、米チームは日本野球界の発展に巨大な貢献をしたばかりかプロ野球結成の気運を醸成して嵐の如く去った。
そして昭和9年12月、この時の全日本チームを母体として東京巨人軍(のちに読売巨人軍と改称)が誕生したのである。またこの誕生を契機としてプロ球団が続々と輩出し、今日の隆盛の一歩を築いたのである。
思えば再度にわたる米チームの招聘は偉大なる企画であった。もしこの招聘がなかったならば、はたしてプロ野球の今日の隆昌はあったであろうか。
思いなかばにすぎるものがあろう。
その意味において、その招聘プランはもとよりこの地に集結した巨人軍の誕生は永く球史に記録されるべきである。
今回小社は、この地を読売巨人軍発祥の地として指定し、その経緯を後世に伝えるためにこの碑を建てた。
プロ野球の発展を祈念すると共に正力松太郎氏の卓見と努力に最大の敬意を表する次第である。

この碑は昭和41年に設置されたものを復元したものである。
昭和63年1月24日 習志野市


商店街は、お祭り色。