年賀状模様2016

俺にとって2016年は、なんだか人生の節目の年になりそうだったので、いつもの年よりも多目に書いた。元々年賀状(と暑中お見舞い)くらいでしか近況をお伝えしていない人、東京の前職場を離れてからそのままご無沙汰してしまっている人、たまたま親族にご不幸があって、やりとりが復活した親戚…。
毎度、書き始めるのは大晦日になってからではあるが。
気力の弱いヤツの禁煙、みたいに、簡単に(新しい職場で)くじけてしまわないよう、周囲にいいふらしておく「安全策」も兼ねている。

そんな俺の気まぐれに、今年もちゃんと付き合ってくれて、年が明けてから返信を書いてくれた人たちには、本当にお手数をかけてしまい申し訳ない。

住所不明で戻ってきてしまったもの、数葉…さすがにご無沙汰しすぎたか。ご結婚されたり、お子さんが生まれたりと、生活環境が激変した人は、必要に迫られて中々その場に留まってはいないものだ。
俺の発送と行き違いに、元日に俺の手元に届いたもので手元の住所と違っていた人が数名ほど。未だにあて先不明で俺の元に戻って来ないということは、多分こちらは無事に転送されたのだろう(出したのに俺からは届いてない、という人、スマン)。
未だに実家の方に届くものも数枚ある。まぁこれはこれで、昨年正月の俺がインフルで、実家にも帰れず部屋で寝込んだ、ということでもない限り、毎年実家には帰っているので、問題ないが。中には何度転居のお知らせを出しても、直してもらえてない人もいたりして。こうしたやり取りが年に1〜2回じゃ、詮無いものか。

昨年、俺以上に多難だったヤツもおり、返信にはヤツらしくなく文章がびっしり…初めてことの次第を知る。俺なんかに一生懸命報告してくれて…ありがとう。ことばにできるくらいには、落ち着いた、ということなのかな。
年末にメールのやり取りから、ようやくお互いの住所を知ったという知人は、はがきから手作りで、「こんなに器用な人だったんだ」とびっくり。
出来合いのデザインに少し手を加えたくらいで「右脳人間」などと自称している場合ではないな、俺。
どうやってもその人らしさが伝わってくるはがきのやり取り、年に数回くらいは、悪くないな。

というわけで、結果として半数くらいはまだ返信がないものの、一応落ち着いたようだ。
元々が返信を求める、という性格のものではなく、今回はあくまでも、お世話になった人たちへの、俺からの(勝手ながらの)「ご報告」。
次の給料日には、昨年末までに喪中のご連絡をいただいている方々に、改めて「寒中お見舞い」を書こうと思う。