所詮は、気の持ちようひとつ。

両手の爪が、段状になっている。
エセ「海の男」生活の間、重いものを握る毎日に割れるようになっていた両手の爪。デスクワークに転向して普通に伸びるようになったために、今は先端1/3ほどが肉体労働当時のささくれ立った爪で、段になった境目から根本にかけては、普通の爪に生え変わってきている。

よりによって就労期限が近づいた昨年12月には、少し前に100円ショップで買ったベルトの金具に、作業中ジャンパーのジッパーが引っ掛かかってちぎれてしまった。ベルト側の金具先端がちゃんとかしめられていなかったらしく、全く「安物買いの銭失い」だ。

かといって当時の定温庫内の作業に防寒具は必須だったので、仕事休みの日に代用品を探し回ったが、俺が名前を知っているような有名チェーンの洋品店には、ダウンかこじゃれた上着しかなく、実用性皆無。これらでは「仕事」が勤まらない。

ほどなく偶然、勤務先近くの大型ショッピングセンターに発見した衣料品コーナーで見つけた、エアジャケット似のジャンパーが、生地の厚みも以前のものと同程度で着まわしがしやすく、しかもこの間の「科学の進歩」か保温効果も格段に高くなっていて、同じ枚数を着込んで定温庫で作業をしたら軽く汗ばんでしまった。
同じようにこじゃれた上着では仕事にならない人たちは多かったらしく、電車の中でよくカブッた格好をした人と行きちがった。

それから数日後には一転、ジャケット着用で東京の事務所勤務の毎日に変わった。

なんでこんなに、後ろめたい、みたいな気分になってんだ、俺は?

俺ひとりの力量(仕事量)なんか、あの巨大倉庫の中では微々たるものだった。それでもなんだか頼りにされているような、妙な高揚感のある毎日だった。

自身の身体を使って、その日の体力の限界ギリギリまで働いている毎日は、さしずめ「ダイハード」の主人公になったような充実感で、幼い頃に憧れていた「ヒーロー」みたいにも思えたりして。

毎日レーンを流れてくるような仕事は、もちろん一日の上限作業量をきちんと調整してくれている人がいるからだが、予定の終了時間には作業場はきれいさっぱり片付いて、さらに余裕があれば簡単に掃除までして一日の仕事が終わる、カタルシス。他のスタッフとの調整が必要だったりで捌き切れなかった書類が明日回しで机上に残っている、などということは起らない。

広大な倉庫内で互いに行き交い、俺と親しげに話をしてくれた顔見知りは、少なく見積もっても20人といったところ。今でも不意に、何人かの顔が思い浮かぶことがある。

早くもホームシック、みたいなもんか。

自身が大寒波や記録的な猛暑に倒れたことは、すっかり忘れちまって…(思い出ってーのは、都合のいいところだけ記憶に残るもんだけどな)。

肉体労働での疲れから、苦もなく落ちるように眠れていた毎日を経験してしまったので尚のこと、夜は寝つきが悪くなったような気がしている。布団に入ってからも頭が勝手にあれこれ考え始めてしまい、気をつけていないと夜型になってしまう。

とはいえ倉庫内作業のときとはまた違った疲れ方をしているのは、まだまだ慣れない事ばかりなので仕方ないが、これといって予定のない週末などは本人も面白いほど、(昼間なら)眠れたりする。

この東京の仕事場では当然ながら、在住4年目の「新米千葉県民」の俺が、得意げに仕入れたばかりのローカルな話を披露してみても、誰にもわかってもらえない…って、俺こんなに弱い人間だったっけか。

もちろん今の職場に対して不満があるといいたいわけではない。

大変よくしていただいており、人間関係も(俺にしては、今のところ)良好だ。

現実としてはこの数ヶ月間、給料が底値スタートなので、このままの境遇が想定以上の期間に及ぶようなら、喫緊の課題としてダブルワークも検討しなければならないが…。

俺の深層心理での戸惑いが、まだ状況変化を受け止め切れていないらしい。

何もお手伝いできていない現状が、むしろもどかしいのだ。

それでも給料は払われるのだから、誰が考えたって倉庫内作業よりは恵まれた環境なわけで。

これは俺にとってこの職場での、「最初の試練」なのか。

今日がここまでダメダメだったら、明日はどうやったって今日よりはいい日になるんじゃなかろうか(と思うことにする)。

つまりは、

どこまでも俺の「気の持ちよう」ひとつ、ということなんだが。

せめて今ある平日休みは有効な使い方を、などと思っていたら、あっという間に残すところあと1回。しかも先週末に上司から、ここへきてフルタイム出勤の要請だ。もちろん謹んでお受けした。

ようやく俺、本稼動できるか。