自我の芽生えと、装いについて。(★★☆毒、混じってます)

音楽演奏に限らず、一度でもスーツにネクタイでステージに上がったことのある人にはわかってもらえると思うが、実際あそこの照明はかなり暑い。正直なところ「何の罰ゲームだよ」とずっと思っていた。
そもそも合唱音楽の起源は、(音楽の)「神への奉げもの」なわけで。
今回、画像はありません。
であれば、長時間その「罰ゲーム」に耐えてみせることにも意義を見出すことはできるが。
当時は丁度、自我が芽生える(笑)あの怒涛の思春期でもあり、人との違いについて猛烈に意識し出す頃。フュージョンバンドでキーボードを弾いてライブハウスに出ていたりもしたので、段々とそんな「フォーマルな音楽」に嫌気がさしてきた頃でもあったわけだが。
それでも歌いたいという気持ちだけは(今よりは)純粋だったので、早々に演奏会当日は出演しない宣言をしちゃって、それでいて練習には毎回いそいそと顔を出している、などとゆー迷惑な団員だった。
純粋ってホント、迷惑。

そもそもご存知のように俺は産まれついての「アトピー患者」であり、堅苦しい衣装・制服などへのシンドさも嫌悪感も、健常者の方々よりは強いのだ。
合唱部に入ることになった公立中学校の制服は詰襟で、さすがに懲りたので、高校は私服の学校に通いたい、というのも俺にとっては「重要な」学校選びの条件のひとつになった。
運良く入学できた高校では、全国大会常連校レベルだった中学とは比べるべくもないが、年に1度の合唱祭はあって、俺にとっては憂鬱なことに、なぜか先輩達の前例にならってクラスごとにユニフォームを揃えることになる。
第一、なんで学校行事のそんなとこで、カネかけなきゃなんないのよ。
なら俺は、合唱祭当日に休む。
などと、ここでも相当面倒くさいヤツだった(さすがに実際にはズル休みする勇気は持ち合わせていなかったが)。
なんでも朝、通学時間になると自室から出てくる娘が今でいうゴスロリ姿だったりしてビックリするやら恥ずかしいやら(だったら本人にちゃんとそう伝えるのが親というものだと思うのだが)、と在校生の(複数の)親から泣きつかれた、とかで、結局在校生は卒業まで私服のままだったが次年度の新入生から制服になってしまった、というおまけ話まである。

こうやって自身の経験を思い返していると、極めてありきたりな結論ながら、「衣装」ってTPOそのものなのね。
古く忠臣蔵では浅野匠守が吉良に騙されて、場違いな衣装を纏って登城してしまい、あの刃傷沙汰の場面になるわけだが、少なくとも日本という国では、その決定過程への参加も含めて、どれだけ場の空気に合わせられるかが試されてる気がする。
俺はまぁ、万が一にも有り余るほどカネがあったところで、衣食住の「衣」(見た目)にカネをかけることは、しないな今だに。全く生活習慣から、欠落しているのだ。
なんだかんだ理屈を捏ねたって、要は自らの装いを楽しめる自我が育たなかった、ということだ。
まぁどれほど着飾ってみたところで俺ごとき、どうせ「この程度」だろ。
そういう俺みたいなヤツが、極々たま〜にビシッとスーツを着込んだりすると、却って「効果」最大、ということも、あるんじゃなかろーか…と密かに狙ってたりするんだが、やっぱり貸衣装にしか見えないか。
話を本筋に戻すとその昔、両親に連れられて嫌というほど「合唱祭」的なものに足を運んだことも、少なからず影響している、かも知れない。
次から次へとステージに上がってくる合唱団の中では、大半が「ここ一番」の気合いの現れか、ビシッと衣装をキメてくるわけだが、その大半は肝心の演奏内容が伴わない、というもので、目の前で繰り返されるこのようなサマが、あのナツカシの学芸会に通じる「滑稽さ」のように感じられていたのは、俺だけではないだろう。
狙ってそういうコメディを演じるつもりならともかく、俺は意図しない道化役を、演じたくはない。
だったら逆に、その辺どこにでもいそうな私服の、一見バラバラなオッサンたちがわーっと集まった途端、一糸乱れぬハーモニーを紡いでご覧にいれた方が「カッコイイ」に違いないのだ。「本当にカッコイイとは、こういうことだ」などと思う。
日本でも、もっとコーラスの文化が一般的になれば、そういう光景が頻繁に見られるようになるのだろうか。
もちろん、お客さんがいらっしゃるような場では、だらしない格好は失礼になるのは重々承知なので、自分なりに気遣いは感じられるものでありたいが。着なれない格好は、気持ちが引き締まる以前に、居心地が悪い。
特に世俗音楽を起源にもち、黒人貧困層が当時の流行歌を(カネと)楽器を用いずに街角で楽しんでいたことを発祥とするアカペラ*1だからこそ、「カジュアル」が好ましい、などと思う。
箱モノでの演奏や宗教的背景のあるような企画の演奏内容によっては、もちろんフォーマルでないと、というケースもまだまだあるわけだが。
というわけで俺寄では、今まで誰もいいださなかったのをこれ幸いに、実は一度も衣装に関して事前に決め事をしたことがない。約2名、大変暑がりなメンバーがいることもあって、通年Tシャツ姿がデフォルト(笑)だったりする。それでも事前に演奏環境の情報交換をしてあると、揃えたわけでもないのに何となくコンセプトが似通った格好になっていたりすることもある。
なんかいろいろ理由をつけてみたけど、要するに俺はただ、事前に考えたり揃えたり、持参することや脱ぎ着が面倒くさいだけ、だったりして。
せっかく元々、身体ひとつでできる音楽だもんねぇ。

  • 「純粋」って、実ははた迷惑です。
  • なら俺は休みます。
  • 自我の獲得って、何かと面倒くさい時代です。

*1:お解りかと思うが、ここでは宗教曲上の「アカペラ」ではなく、ストリートコーナー・シンフォニーの方ね。