Vol.81 ニッポンを、さぼろう(2)

なんで前回、中央線だったかというと、これが今回の湯治行のオープニングだったのでした(八王子は地名のリンクがあって、熊谷にはまだないんだ、というツッコミも入れたくなりましたが)。

自分の未来? 連れ合いとの暮らし? どちらのためにも頑張る理由がありません、今んとこ。自分の体だけが大事。なんとも淋しいハナシではありますが。
見えなくてもいい職場の人間関係が、鈍感な私にもおぼろげながらにわかってしまったり、そうなるとどうも自分の努力が空回りしかしてないような気になったり。相変わらず右側だけに汗をかいてたり、そのために右側のアトピーだけが悪化してたり。ついには先日バンド練習で話題になったのがきっかけで聞いた小田和正のMDで、不意に涙が止まらなくなって困惑したり(通勤途中だった)、自分から掛けた電話なのに「少々お待ちください」と口からことばが出てしまったに及んで、これはもう「ニッポンを休もう」と強く決意したのでありました。いつもどおり日帰りですけどね、ええ。(「『〜たり』は繰り返して使います」と“Word”に注意されちまったので、思いつく限りのいいわけを「たり」で並べてみました)。
こんなにもいいわけをたくさん用意して、それでもまだ後ろめたいのは、悲しいほど日本人だなぁ。俺より働いている人は、たくさんいるぞ。いやいや、俺より働ける人がたくさんいるのだ。俺より働けない人を探すほうが難しいぞ。とにかく湯治は、平日に限るのだ。

夏山は、なんてったって雷と夕立でしょ。雷はもちろん嫌いだけど、安全な屋内から見ている雷雨は、花火と同じイベントだ。
カンカン照りの猛暑だというのに、どこからかザザット風が吹いてくる。前線が通過したな、とか思っていると、西の雲がどんどん大きく、黒くなってきて、そのなかで光が走って、遠くから雷鳴が近づいてくる。光と雷鳴の間隔が段々近くなってくると、はっきりと雨脚が見えるほどの、銀の雨が・・・。と想像を膨らましつつ、湯船から出て大広間に移動したら、その通りの風景になっていた。

国分寺まできて、ほぼ一月前に丸井の地階「又一順」で買った中華の弁当がおいしかったのを思い出したので、また昼食用に入手しようと開店を待ちつつ南口のモス・バーガーでコーヒーをすすっていた。
以前勤めていた、アトピーの患者支援をしている団体が新聞に載ったと、コピーを数日前にもらっていたのに、ようやく落ち着いて目を通す。障害者支援で先例がある別の団体が実務援助している今回の就業支援事業は、アトピーの患者たちにIT技術を習得してもらうもの。そのPCのある教習施設は、うちの事務所と同じ建物内だ。見慣れた部屋の写真を見ていたら、なんだか胸がつまってしまった。俺の勤務中は、丁度事務所が二転三転した時期だった。PCは、かつての上司にマンツーマンで教わった。というよりは実務上の課題を与えられて、自分で調べたりが多かったのだが。必要に迫られて、というのがやはり一番身についた。今、20歳代でこの教習を受けている人たちは、形こそ違えど、同じようにたくさんの人たちの前にやがては出て行き、現実社会でどんな仕事に就いていくのだろうか、そう思うと、自分の歩いてきた時間や身に付いたスキルが、否応なしにフラッシュ・バックしてしまった。自分なんて、何も変わらないと思っていたのに。
それにつけてもこの団体の活動は、実に「まっとう」だ。中にいるときは気付かなかったが。自分たちは、人を助けるに無力だという出発点に立っているので、電話相談を受けていても、何か具体的な指示を与えたりは絶対しない(「たり」は繰り返して使います By Word)。一部の教育関係者に感じる「偽善」臭さがないのだ。そうすることで自らを相談者より上の立場に置くということをしないためだ。一緒に考える時間を共有して、問題解決への「伴走者」に徹しているこの姿勢や維持へのエネルギーは、並大抵のことではない。どうしても人間というものは、相談を受けると、「頼られている自分」を演じようとして、それ自体で自分を支えようとの無意識が働いてしまうものなのだ。

せっかく会社休んだんだからこのままクーラーの中で、もいいかな、と思い始めていたが。この勢いを駆って、いつもの温泉行きと同じ時間の電車に飛び乗れた。
この猛暑で、熱を帯びた患部に温泉がいつものように作用してくれるのかどうか、は正直カケだったが。横瀬で降りる武甲温泉小鹿野か三峰口から入る薬師の湯、この二つを私は「駆け込み温泉」にしている。皮膚との相性は、実証済み。
今日は西武秩父駅から、秩父鉄道に揺られるよりバスに長いこと揺られてみたくて、丁度発車をまっていた小鹿野車庫行きのバスに乗り換えた。バスはいくつか山を越え、水を張ったばかりの水田の輝きに目を細めていたら、急速に眠りに落ちてしまった。
成り行きとはいえ、随分と山奥まで来てしまったぞ。http://www.chichibu.ne.jp/~ryokamiv/
これこれ、このマッサージ椅子に座るためにわざわざ来たのだよ。あ〜、天国。
そして冒頭の夕立の場面へ。

帰りのバス待ちの頃にはすっかり雨もやんで、コンクリートではなく土と草の上を渡ってくる風もこころなしか涼しい。帰りは両神村営バスの西武秩父駅直通便で、乗り換えなし。さっき通ってきた小鹿野町役場からは小鹿野クアハウスへのルートを通り、車内はずっと、山道を行くエンジン音しか聞こえなくなる。ハイライトは巴川橋の手前、秩父イチの標高を持つ武甲山の裾野に広がる秩父の街の大パノラマ。夏場の今は明るいが、冬場の同じ時間には、一面の夜景となる。
ここでようやく仕事の本を取り出す。山影にある線路はまもなく、車窓が見えなくなるほど暗くなる。ミスドーに寄るのがすっかり習慣となってしまった。東京では滅多にいかないのに。ドーナツをかじりながら、しばし車内で読書、山を下る。

ご多分に漏れず、両神村にも「西秩父市」としての合併話がもちあがっている。何も知らないよそ者の口出しだが、両「神」村というからには、それなりの由来があってのことだろう。そうした地名が消えていくのは、単に呼び名が消えていくという以上に、地域の共有財産が失われていくようで、なんだか悲しい。