帰宅後、録音を聞いたメンバーは一様に「のけぞった」・・・らしい。

どのくらいのけぞってしまう演奏だったかは、録音を聞いていない私としては、想像の域を出ないが。
録音をするのもされるのも、別に嫌いなわけではないが、そもア・カペラという音楽形態は、なんといっても生演奏が基本なのだ。芝居をビデオで見て、すべてわかったかのように錯覚してしまうのと同じ。生と記録では、伝えるもの、伝わるものが全然違う。
実際、CDで聞けるような、ストリングスと区別つかないような一矢乱れぬコーラスって、つまらないんだよね。人間が感じられなくて。「わざわざ人の声じゃなくてもいいんじゃないか」って。
エフェクター駆使して「ヨソ行きの厚化粧」した演奏、よりはライブな生声の方が好み、なのだ。女性も、化粧は薄めなほうが^^ 
(CDで聞かれる、コンプばきばきにかかったようなコーラスが、ア・カペラの音だと思われることには、現場の人間としてはちょっと危惧を抱いている)
日ごろ人前で歌っている側の人間として、そういう「生」な感じこそが、伝わる歌だと思っている。と、昨夜の演奏への単なるいいわけが、にわかに正当性を帯びるものになってきた。が、しかしそれに付き合わされたお客さんたちこそ、被らなくていいご迷惑、おかけしました <(__)>

リズム感のほうがもっと顕著なのだけど、メトロノームに合わせて歌える技術だけでは、聞いていても単調なだけでしょ。ノリが表現されていないから。自分のカラダから出す、というのが大事で、出してみたビートが、偶然にもメトロノームとあうような均等なものだったら、それがヒトの作り出す、躍りだしたくなるようなリズムになっている、というのが理想。最初から合わせにいくことは、この際意味がないんだよな。声も出さないことには、何も始まらない、という基本に戻ってしまったのか・・・しばらく、荒れた演奏になりそうだな・・・じゃなくて、ペンギンはまだまだ変わってご覧にいれますよ。というか、変わり具合をお楽しみください(ごく少数の、マニア向けな発言)。

ふた周り目は、我々が飲んでいる間もていねいにハウリングを取り除いてくれたPAスタッフのおかげで、ステージ上でもかなり耳なじんだ音になっていたと思う。私としては、新たなバンド・カラーというか音の塊のイメージができた、と思ったんだけど、掴んだと思ったら、また遠くへ行ってしまうのね、音楽って・・・。

最近、もしかしてこうしたヒフを通じて感じ取っているもの、他人と違っちゃってるんじゃないだらうか、と思ったりもする。