元々が、個人の内宇宙におけるイマージュの結実であって、その連鎖形態には普遍性など存在するわけがないのだ。
従って、単語ひとつから瞬時に連想される、次の言い回しやことばは、それの書き手と読み手では、まったく違った、想像すらしえなかったような食い違いがおこりかねない。
例えばそれは、「抜け殻」は「いる」ではなく「ある」ものであったり、なぜ「カーテンを開ける」のに「苦笑い」を伴わなければならないのか、といった疑問だったり、「朝日」と毎日「追いかけっこ」が必修科目であるという認識がどこから生じているものなのかといった形をとり、一番の歌詞の内容だけでもこれだけの疑問が生じてしまっている。
さらに「あなた」が「彼女」からのメッセージと思い込んでいたものが、その実まったく逆だったとあっては、最早この隔たりは修復不可能といわざるを得ない・・・。
というか、歌詞が覚えられない言い訳をしようと思ったんだけど、思った以上に詰まらん。単なることば遊びにしても、なってないじゃん。