「責任は全部、俺が取るから」
こういう時の上司ほど、頼もしいものはない。
あまりの強風に、夕方時間通りに仕事を切り上げて庭に出てきていた団体も、次々と事務所内に撤退。見るに見かねて、会議室を自由開放するという緊急避難策を発動しての、上記の発言だった。
全館放送装置が故障中のため、これも全ての部署に対して、個別にご案内して回った。
既に事務所内でできあがってしまっている数団体は、階下に下りてこなかったようだったが、それでも町会さんからは紅白の祝い幕を貸し出してくださったり、研修生や役所の担当者までが同席、と多彩な顔ぶれになった。
今月末で異動となる役所の担当者と、今日限りで退職するヒトと、という寝耳に水な話もあり、昼にわざわざ退職の挨拶に来てくださった大学の先輩といい、なんだかしんみりしてしまう。春は別れの季節でもある。
とりわけ先日、ドイツのお孫さんに逢いにいっていたはずの他部署スタッフの訃報には驚かされた。
こんな春の陽のような、穏やかな方だったな。
日本での葬儀は、この29日だったはずだが、せめて斎場には、この庭程度の桜の木があったのならいいな、と思いを馳せてみた。


昨年は庭で、それぞれの部署がめいめいに準備、開催だったのだが、今回は結果的に、上司の口癖でもあった「のみニケーション」の場と化した。俺にとっても、とっても久しぶり。というか、こういうハレの場に自ら身を置くということはまず、年に数回しかないから。
にも関わらず、慣れない「民族大移動」を仕切ったりバタバタした後すぐ、すきっ腹にビールを流し込んだので、あっという間に周囲の人間に心配されるほどの大「赤面」。真っ赤を通り越して、恐らく赤黒い顔をしていたと思う。この酔い加減だと。さすがに楽しかったはずの記憶が、どうも断片的だ。
(後日、館内で会う人毎に、「あの後、大丈夫でしたか?」と聞かれるほど、目だってしまっていたらしい。帰ろうとする他所のスタッフにからんだ、とかいう噂も・・・)。
狭い室内にこれだけの人たちがギッシリいるのだから、さしつさされつ、それぞれが持ち込んだツマミにも、「国境」なし。なごやかな雰囲気に、普段何かとトラブルメーカーな学生達が、積極的にテーブルの間を行き来していたのは意外、というかちょっと、見直した。


窓の外のサクラの花とは、全く関係ない場になってしまったかのようだが・・・こんな交流の場としての、「花見」っていう風習は、いったいいつ、誰が考案したものなのか。
よきこと哉。
前の職場でデスクワークをしていたときは、まさかこんなに自分の顔が広がるとは思いもしなかった。ここにいるほとんど全ての人たちの、顔と名前を知っているのは、恐らく俺だけなんだろう。なんだか不思議な気分で、テーブルの間を行き来していた。
普段、閑古鳥の鳴いているスペースがこういう風に人で賑わっているサマは、これこそが本来の姿のようで、今年が最後なのかな、という気分と相俟って、盛況な様子を少し離れて外から眺めては、なんだか胸がいっぱいになっってしまったりする。


酔って話したはずみで、昨年体調不良から退職したチーフを、別部署に「戻す」(!)という企てが、上司のアタマの中にあることがわかった。「ああいう仕事の仕方しか出来ないヤツは、ウチでつかってやらにゃ」と口ではボヤいていたが。
どんなカタチであれ、また一緒に仕事ができるのであれば、楽しみだ。
チーフと入れ違いに着任し、今度同じ部署になりそうで心配顔の同僚には、「古●任三郎みたいな人だよ」とかテキトーなこといって、脅かしておく(^^;・・・そういえば似てるかも・・・。


気持ちよく飲みながら話していた向かいの席の女性がカレシ持ちだということも、さりげなく判明したりして。
しょ〜もないな、この惚れっぽいトコは。一遍死ななきゃ、治らん。
自分自身に、オテアゲ。女性が(俺の目に)魅力的に映る理由のひとつが、カレシがいたから、というのでは。この歳になると日常茶飯事な悪循環、ではあるが(失恋、ともいえない前段階)。
たばこをやめる理由は、また確実に遠のいたか。
最近、キャスターの煙が、ほの甘く感じられるんですけど。ちょっとヤバイ傾向かも。