公私ともに

モヤモヤ気分続きなここ数日、追い討ちをかけるように木曜(8日)昼過ぎ、妹からPHSに、祖父急逝の第一報。
取るものもとりあえず静岡に向かった父から、刻々と状況変化が伝えられるので、この段階で、なにしろあの大親族だし、片付けまで人手があるうち一気に、などということになれば、この連休中いつ帰京できるかわからんな、と判断して、もろもろ週末の予定にキャンセルの連絡を入れ始める。

95歳だった。
俺が生まれてすぐ、祖母は亡くなっている。祖母の葬儀の記憶がかすかに残っているだけだが、それも自身のリアルな体験としてなのか、後から写真を見せられてのものなのか、わからない。
最近、親戚や友人たちが先に逝くのを送る祖父は、傍目にも痛々しかった。
家には「ちらかっているから」といって、実の息子たちすら立ち入らせなかったらしい。
本人年に数回、毎年正月やお盆休みを中心に東京にまで出てきて、親戚の家を泊まり歩いていたが、大多数の時間はずっと一人暮らし、なのだと、俺も思っていた。
しかしごく内々にしかお知らせしていない葬儀に次々と足を運んでくださる方々の、故人との関係が断片的に知らされるにつけ、その想像は必ずしも当たっていなかったようだ。本当の孤独なんて、望んでもなかなかないものらしい。
ヒトはどこかで誰かと繋がっているし、矛盾するが友だちは数の多さだけが問題ではないんだなと、なんだかここ数日の俺自身の経験が重なる。