通夜

それにしても・・・通夜の読経顛末は、あの有名な伊丹映画の趣だった。
手前勝手に、音楽エンタ的な角度で見てみると、

  • 本当に、楽譜(経典)を見ながら読みあげるもんなのだろうか。坊さんは祭壇に向かっていて、こちらには背だけしか見えないわけなんだが。
  • にも関わらず、ブレスの位置がどうもおかしい。日本語のことばの切れ方とあっていないようだ。単語の連なりを先読み理解している風でない、もしくはカンブレがバレバレ。
  • 読経というと誰でもがイメージする、木魚を叩きながらの読経部分が、思いのほか少なかった。サビなしの歌謡曲
  • そんな楽器演奏部分でいえば、リンの叩き方にムラがある。時々カスッた叩き方をされるのがすごく気になる。どうも意図的な”リムショット”が、あるにはあるようなのだが。
  • もっと欲をいえば、木魚のリズムにもグルーブが足りないような気もする。
  • 読経の合間、たまにある祭壇前での所作で、一挙手一投足に人目を気にした緊張感みたいな美しさが感じられない。
  • そもこの宗派自体が、こういうものなんだろうか。不祝儀とはいっても文字通り「祭り」なのだから、もう少しわかりやすい「様式美」みたいなものが随所に工夫できるような気がするが。他宗派の方がわかりやすくて(歌舞伎みたいに?)カッコよかったら、檀家さんたちに改宗されちゃう、という密教時代のような危機感はないのだろうか。

・・・いずれにしてもいいたいことは、「足がしびれて動けないんだよ俺はっ!」
すみません、不謹慎ですね。ただこの時点では意外とこのとおり、ひとりお気楽な参列者だったのだ。