「閉じる」ための作業の、なんとゆーうつなこと。

この月末にセレモニーをやるために、オープニングイベント時の記録を参照しちゃってるわけだが、ほぼ5年過去の世界であるあちらさんは、もちろん関係者の喜びと誇らしさ華やかさに満ち満ちているわけで。
帰宅すれば丁度、30年住み慣れた公団住宅が解体されるところ。
この見慣れた社屋の、少し先の痛々しい姿に重なって見えると、階段途中でも眩暈に似たたちくらみがすることもある。こうしてすれ違う顔見知りの人たちとも、知り合いになんてならなければよかった、などと・・・。
自分の人間嫌いな性格からいって、今の自分の仕事ポジションがなかったら、本当にひとりでできることだけに逃げこんで、黙々とそんな仕事ばかりしていただろうことは間違いない。恐らく誰とも知り合いになることはなかった・・・。
一方で、今の自分のポジションにいたのが俺じゃなかったら、ひょっとしてここは、6月以降も何事もなかったように存続していたのではないか、とも思う・・・末期症状。
こんなやりばのない気分が、まだ3ヶ月も続くのか・・・。
「卒業」に伴う痛みくらい、今までだって幾度も乗り越えてきたじゃないか、と自分にいいきかせてなんとか動けている、毎日。


いまさら恨みだとか、怒りだとかとも違う。
もちろん、新しくてキレイな建物に住みたいわけでもない。
俺たちがここを出て行ったあと、建替えなんて行政の手にかかれば他愛もないことだろうけど。
人と人との絆を結ぶには、かくも長い時間がかかったんだぜ、俺の場合。
そんな些細なことでも、この協働事業がふれこみの片棒を担いでいたはずの港区からは、未だに公式な総括が出てこない。


ただ、閉鎖前になってようやく、だったのかも知れないにせよ
こうして団体の枠を超えて、ここにいるみんなと一緒に仕事ができて、よかった。