もの想う日々

交流サロンでいつものように昼休み(とはいえここんとこ、すっかりご無沙汰だったのだが)、ピアノを弾いていたら、昨年のクリスマス・ミニコンサートでも呼びかけに一役買ってくれた女性が、「ピアノが聞こえたので」と(このばしょでの)「最後の」昼食に降りてきてくれた。
古い友人のように話してはいるが、実は彼女、ここにきてまだ日も浅い。
わずかな期間だったけれど、こうしてここで働く経験ができてよかったといってもらえたのは、我がことのように嬉しい。それでも閉鎖、移転の日を明日に控えて、「こんなにも複雑な心境」だという。丸5年もここで働いてきた阿仁さんにしてみたら、「泣いちゃうほどでしょう」。思えばここへきて始めて、他の誰かにそういってもらえた気がする。もちろん俺だけでなく、ここで働くみんな、思いは同じなのだろうけれど。
それでも結局、他の入居団体で顔見知りになれたのは阿仁さんくらいだ、とかいわれると、こっちも「世の中には毎日こんな美女と暮らしている男がいると思うと、ご主人がうらやましい」、とあらぬことを口走りそうになる・・・我ながら、馬鹿である。


小さい頃テレビで見た「日本沈没」だっただろうか。
ひと気の感じられなくなった室内、窓からは西陽が差し込んでいて、自らは動くこともできず、ただ「その時」が来るのを待っている机や椅子たち。
その場にいないはずの所有者たちの存在をも強烈に感じさせて、それ自身意思や感情を持った生き物のようにも思えてしまう光景。
団体数が二桁を切った今は、館内のいたるところ、そんな部屋ばかりになってしまった。
朝、自販機でコーヒーを買うのが習慣で必ず顔を合わせたMさん、喫煙所で社屋に背を向けてたばこを吸っていたYさん、必ず日に一度は階段で行きかった人たち・・・。
毎日当たり前のように目にしていた、いつまでも続くかと思われていた光景が、ある日突然、二度と目にできなくなっていることに気付く。

今日、理事会を無事終えて。
久しぶりにスタッフだけ、事務所内でゆったり飲んでる。
こういう時間もなんだかとっても、いとおしい。