スーツ姿の列に気後れ

で思い出した*1。本人の中では同じ次元の反応として自覚されるのだが・・・。
世間はすっかり、卒業式シーズン。
切ない思いも、ひとそれぞれ。
俺の高校の時の卒業式については、既にどっかで書いたような気がするので、今回は大学編。

大講堂で行われる卒業式は、「大」とはいえ、各学部の卒業生だけで一杯になってしまうので、一般在校生はシャットアウト。但し俺が在席していた合唱部だけは例外で、ステージ下手のすぐ脇で、毎年校歌を演奏していた。
記憶が定かではないのだが、確か卒業生はひとりひとり名前を呼ばれて登壇し、壇上に居並ぶ教授たちと握手して、拍手しっぱなしの合唱部の前を降りてくるんだったと思う・・・名前を呼ばれるのは総代だけだったかいな。

で、俺にとっての卒業式、一回目(もちろん合唱部員としては、一年の時から参加しているわけだが)。
前年同様何の違和感もなく合唱部の中にいて、校歌を歌って同級生を見送った。
と書くほど悲壮感が漂っていたかというと、実際には同級生の友だちがほとんどいなかったので、さほどでもなかった・・・幽霊学生だったからねぇ。「幽霊部員」というのはよく聞く話だが、俺の場合、合唱部では世代・学校を超えて有名人になっちゃってたが、そんな生活をしてれば当然講義にはほとんど顔を出さなかったので、「幽霊学生」・・・こりゃどう考えても逆だ(親不孝者、ともいう)。

二回目(!)はさすがに面倒くさくなり、講堂にすらいなかったような気がする。一年年下の同級生たちと、そのまま長崎行きの夜行列車に乗った卒業旅行も、実は二回目。

三度目の正直(^^; は、ひと足先にそのまま母校の学生課に就職していた元同級生をせっついて、式の挙行中に卒業証書を発行させていた。式が終ってからみんなと窓口に行列するのが、馬鹿馬鹿しかったもんで。
母校・練産大というところは、小規模でキメ細やかな指導を売りにしている大学だったが、1年の時の保健室の一件以来、自分の側にはっきりとした落ち度が思い当たること以外では、学校側のいかなる部署からの呼び出しにも出頭しなかった。だから就職課の俺の資料は未だに数少ない「鬼籍」になっているはずだ。恐らくは、高校時代あたりを契機に始まった俺の人間嫌いも、ついにここまで・・・病んでたよねぇ、我ながら。

そんなわけで例によって、どこまでいっても自業自得、なんだが。
この時期、華やかな袴姿の女子学生たちを目にすると、とっても複雑な気分になってしまうのであるよ。
「次の行き先」すら決まってなかった当時の自分の、すっかり投げやりだった卒業式とは比べるべくもない、満面の笑顔に・・・すっかり法界悋気。加えて、病んでいた当時の自分を思い出しては、冷や汗が出る。

その後も懲りずに、ついにいわゆる就職活動なぞ全くしなかったにも関わらず、ありがたいことに気にかけてくれた周りの人たちのお陰で、なんとか今日まで食いつないでいることには、今もって俺自身が一番、びっくりしているんだけど。

*1:着想から、多分に思い違いが含まれているが