昼過ぎ、元チーフの来訪。

数年前、とにかく急にカラダを壊して倒れられて、音信不通のように退職なさっていた。
仕掛かりのプロジェクトがいくつも残されてしまい、まともに引継ぎもできずに迷惑をかけた、とようやく体調が戻った今、改めて関係各所を挨拶回りをしているという。
できれば自分の中で中途半端になってしまった、この業界にまた戻ってくることをお考えのようだ。
企画・実行力はある人だが、ときに感覚が現場と乖離していたことが、前回の数々のストレス、ひいては体調を崩す原因だったのではないだろうか。ご本人も療養中に同じ結論に至ったらしく、それほど器用ではないもんだから、と謙遜なさる。
実年齢は俺より若いはずだが、ちょっと気難しいところがあるのも含め、どんな人かと尋ねられるたびに、俺は勝手に「古畑●●郎みたいな人」と答えていた。いわゆるアタマが、とってもいい人。
こうして上司との当時の話を伺っていると、何もないところから仕事を作ってきた人たちだけが持つことばの重みと、半分口にした瞬間、互いに通じているという凄みが、傍から見ていて小気味よい。この間、同じ時間・場所で仕事をしてきたのに、俺にはついぞ、そんな局面はなかったなぁ、と思いながら黙って聞いていたら、「現場の仕事の仕方という点では、阿仁さんがひとつの手本になると思ってる。世代の近い阿仁さんがまだこうして現場で働いていることにも、励まされる」と過分のおことば。
俺はずっと、チーフの仕事の仕方の少しでも真似できたら、と思ってきた。企画・提案にしろ、業務改善にしろ、小さい事務所にありがちな口頭ではなく、すべて文書にあらわして具体化する、という手順を踏むことの大切さは、彼から学んだ(盗んだ?)仕事のやり方で、今やすっかり俺の中に定着した。
自分の中で図示(この場合、もちろん紙媒体とは限らないが)できない段階のことは、いくら説明しても、うまく伝わるもんじゃない。
強烈にみなとNPOハウスでの自分とチーフを思い出したこともあるのだろうが、携わってきた仕事の違いこそあれ、実はそんな風に俺を見ていてくれたのかと思うと、なんだか目頭が熱くなってしまった。やっぱ疲れてるか、俺・・・(照)。

どういうカタチであれ、またどこかで一緒に仕事できるといいなぁ。
これだけの「頭脳」を業界が使えないのは、損失以外の何ものでもないと、今も思う。
このあと本部にも立ち寄るという。
恐らく本部では、4月に出ていたパソ総入れ替えのハナシ、早速俺の代打(というのもおこがましいが)を務めさせようとしているんではないかと思われる・・・。