楽譜というもの ★★☆(毒、混じってます)

で、楽譜を捨てて、歌詞カード。


先日、フェイスブックの方に「アレンジは、常に変更、修正を続けているため、もはや、オリジナルの楽譜を見ても歌えない曲があります(汗)」と、ふねサンが内情を暴露(!)しておりました。
おいおい、本来楽譜って、誰がやっても同じ演奏が再現されるために作られたものじゃ、ないんかいっ!・・・とお叱りを受けそうですが、楽譜に文字や記号で記載できる表現にも、限界はあります。
そもそもクラシック音楽などでは、楽譜どおりに演奏できることがまず要求されるわけですが、そこはまだスタートライン。楽器を操る手やブレスのコントロールが楽譜どおりにできるようになったその上で、それを演奏のカタチにするには演奏者の解釈や個性が加わるものです。
歌の場合は元々が古来から、文字通り「口伝え」だったはずで、記録方法を持たなかった多くの「歌」は後継者が絶えたまま消えていったものと思われます。その中で何世紀もにわたって、かなりの精度で演奏を再現することが可能な「楽譜」という記録方式は、録音機がなかった時代の発明として、それ自体かなり優秀なものではありますが。

さて「俺寄せ」の場合、真司さんや俺が楽器バンドの経験者ということもあってか、一応譜面通りに唄えるようになるかなり早い段階で、「色づけ」しちゃってます。さすがに配布される楽譜が(楽器バンドのように)リードシート*1、ということはないですが。

どういう風に楽譜から離れていってしまう(笑)かというと、

  • キーを変える

バンドメンバーの音域に合わせて、上下させます。一番高い音が出ないのでキーを楽譜より下げる、というのが普通だと思いますが、内声がちょうどチェンジの音域にかかるから、ということで変更する場合も多いです。また、メンタル的にどうしても全員が上ずる、などという場合、譜面より半音高くして演奏すると安定する、という場合もあります。
数少ない、女性がリードの曲に関してはリードボーカルに合わせて都度変更しています。因みに、女性がひとり入るだけで、それまではリードが聞こえないのも厭わない大声で歌っていた俺たちの演奏形態がおとなしく「豹変」してしまうのは、みなさんご存知の通り。
一方、これが男同士の場合、結成当初は、キーが変更・確定となった譜面の再配布があったりしたのですが、そういえば最近はありません・・・。

  • アドリブ・パート(ソロ)がある

このケースでは、真司さんの譜面には「一例」として記載されていることが多いです。
私の(手書き)譜の場合は、「Solo」としか書いていない(音符がない)場合が多いです(笑)。次項とも関連するのですが、とりわけ(元・ChuChuChuファミリーの)いっぽと一緒に歌っていた頃の譜面だったりする場合、ベース・パートもルート音が白玉で書いてあるだけ、ということも・・・。
リードが個別にフェイクをかますパターンも、これの類型でしょうか。

  • リズムを変える

そもそも、アレンジの目先を変えるのに一番効果的なのが、コレ。ただ、ボイパがいない我々の編成だと、音とともにパターンを変えなければならなくなるベースが一番、ワリを喰いますね。

  • 「白玉」を動かす

複数のパートで和音を鳴らしている間、音が同じだからって全音符をただ伸ばしている必要はありませんよ。ブレスとブレスの間で強弱をつけていいんです。
また俺の場合、二分音符で動くような場合に、ちょっとフェイクでつっこんでみたりもします。あくまで他のパートに迷惑をかけない範囲で、ですけど。

  • 5声⇒4声へのアレンジ譜の場合は、音そのものをその場で変えることも

リードボーカル以外の音は、ハーモニーが乖離しすぎているようなら、その場で変更します。実際に声で鳴らしてみると、随分と思っていた音と違うことがあります。特に、曲の流れの中で聞いてみると、改めてある部分だけが突出して聞こえてしまう場合などで発動(?)されます。
エンディングのコード(やパート配置)を変えちゃう、なんてことも時々ありますね。


で、こうして書き始めてから考えているわけですが、このハナシ、オチがありません。
どうしたものか・・・。
こうした「俺寄せ方式」の場合、練習の場で4人揃って「せーのっ」で創っていくので、一見すると練習効率はたいへん悪いです。
かといって事前に個人でやっておくこと、できることは少ないです。
だってどんなに丁寧に練習してきても、4人揃ったときに変更されちゃいますから(TT)

今日のまとめ

  • 楽譜に頼りすぎないようにすることも、大切です。
  • 作譜では、アドリブ・パートやベース・パートも横着せず書くようにしましょう。
  • 文章を書く前には、ちゃんとテーマを絞りましょう。

*1:メロディとコードしか書いてないもの