5年目の春


災いも、そして恵みも。
朝から、大番狂わせ。
いつも通り、自席で今日一日の仕事の段取りを考えようと思っていたら、「今日は確か、資源ゴミの日だったよね?」といわれて、ドタバタ。
集積場所は通常通りの事務所裏手ではなく、少し離れた町会の集積場だった…って、教わってないよ。
案内してもらい見てみたらまだ回収車は来ていなかったので、台車に積んで一気に運ぶ。
お陰で低血圧の俺でも、一気に目は覚めたが、肌寒いはずの朝なのにすっかり汗だくになってしまった。
こういうときに、風邪を引くんだよな。気をつけないと。

無償配布物の件が一斉に掲載されちゃったので、ここ数日、電話での問い合わせが相次いでおり、席を離れる暇もない。こりゃ今日受けた分だけでも出荷手配まで済ませておかないと、他の仕事に障るな。
携帯電話のアラームが鳴る。去年、セットしておいた時間。
丁度電話も途切れたタイミングだったので、上司にひとこと断って、ようやく「外の空気を吸いに」出られた…区では「その時間」、防災無線は鳴らなかった。騒音に配慮して、駅周辺地域だけ、放送がなかったのかも知れないが。
都会は、冷たいな。
食い扶持のために止む無く、はるばる避難してきている人たちだって、ここに暮らして居るのかも知れないのに。
数分その場に手持ち無沙汰でいて、すっかり身体が冷えてしまったので事務所の自分のデスクに戻った。
なんだか自身の偽善を恥じるような気持ちだけが、重く残ってしまった。
ひとまず、来年の今日この時間に、携帯電話のアラームをセットしなおしておく。
確か去年は「海の上」での仕事中で、一歩も外に出られなかった。
来年の今日を俺は、いったいどういう境遇で迎えているのだろう。

そういえば今になって思うが、俺の高所恐怖が以前に増して強く出るようになったもの、案外東日本大震災がきっかけ、だったかも知れない。
今ここで、このエレベータが何かのきっかけで動かなくなってしまったら、そういう想像が勝手に働き出してしまうと、剥き出しの鉄骨や非常階段を恐る恐る降りる自分が以前よりリアルに感じられてしまうようになったのだ。
芝公園の事務所から、延々徒歩で帰宅したあの夜。
今となっては、無理に帰宅をしようとしない、という選択もあったわけだが。あの夜から今に至るまで、人が列をなして歩いていたり、多くの人が集まる雑踏になっているようなところも、意識的に避けるようになった。
人間は無意識にツルむ習性があるらしい。駅で隣の改札口が空いていても、前の人が通っている改札を通ろうと行列を作ってしまう、コンビニやスーパーのレジはなぜか、同じタイミングで行列になる…そんな「自分」を疑うようにもなった。
人によって影響の度合いは違うだろうけれど、あれだけの大災害、考え方や感じ方に全く影響を受けなかった人は、この国にはいなかったのではなかろうか。