高井戸

ここ数日、会社から高井戸への「お使い」に登板させてもらっている。

学生時代の看板屋でのあるバイトを思い出してしまうが、あの時は取引先へ材料を取りにいったり、原稿を収めたりしていた。こうして一人、外に出ているのは、外の天候もわからず机に張り付いているより、実は性に合っていたりする。
先方は我が国の国民であれば名前くらいはみなさまご存知の巨大組織で、訳あって未だに電子メールを使わせていただけない「前世紀」の状況なので、データのやり取りがいちいちディスクでの受け渡しになる。いわば俺は「添付ファイル」の役回りだ。
高井戸といえば、小学生のとき喘息治療の一環で通っていた水泳教室のプール。今はもちろん、跡形もない*1
近所の友だちと、初めて電車に乗って習い事に通った経験だった。
プールでも何人か友だちができ、ようやくクロールの息継ぎまでできるようになった頃、ウチの母親が若いお母さん達に「事情説明」を求めて詰め寄られていた。その日の光景は、漠然と憶えている。「事情」とは恐らく俺の重度のアトピーのことで、情報源に乏しい当時、プールに限らず幾度かこのようなことがあったのだが、母親たちの最大の関心事はいつも、「ウチの子どもにうつる病気ではないのか?」であった。
それから程なく、俺はこのプールに通わなくてもよいことになった。
高井戸の、苦い思い出。

神田川の桜並木、残念ながら今年はまだちょっと早いか。

今夜はカリーポットでシチューを作るために、パック牛乳を買った。
元々、小学生時代には牛乳にアレルギー反応が出る可能性があるとの診断(血液検査?)で、みんなが給食を食べているのを横目にひとり弁当持参の毎日だった。
消化器官がちゃんと成長した今は食物アレルギーもほとんどなく、卵や牛乳も普通に摂取できるようになったが、そういうわけで元々、牛乳をわざわざ買って飲むという習慣がなく、俺の生活になくてもとりたてて困ったことがない。
傷んでしまう前に1000mlも使いきれるかがちょっと心配だったが…なんとなく、コーヒーに入れたり朝そのまま飲んだりしていたら、特に努力することもなく、無事に消費し切れた。
冷蔵庫に牛乳のある暮らし、悪くない。今後は常備を心がけてみよう。

*1:今はもっと駅寄りにゴミ焼却炉ができており、廃熱を利用した区営の温水プールがある。