金曜日、船橋。


31日、ザハ・ハディド急死(65歳、心臓発作)。
当初、たちの悪いエイプリルフールのネタと勘違いされたらしい。
東京五輪にあのデザインが採用されていたとしたら、「サグラダファミリア」みたいな伝説になっていたかもだったわけか、新国立競技場。

朝、タイムカードを押していたら、まだ誰もいない事務所で上司からひとこと。
「ここが正念場だから、気を落とさないで頑張ってね」
先日の面談のことをいっているらしいのだな。
朝から気分はよくなったけれど、もはや今の俺にはいったい何をどう頑張ったものかよくわかっていない。適性云々以前に、仕事に対する考え方や臨む姿勢そのものが違っちゃってるのではないかとすら、実は思っている。
その間にも生活自体は逼迫してくるし、幸いなことに借金やローンはないものの、市民税の延滞利息が日々膨らんでいくことが不安で仕方ないのだった。
格差を助長する社会システムや、一方的な「搾取」や、それらに無意図的に加担している「法人」を憎んだとしても、経営者個人や一緒に働いているスタッフを憎むことは、決してするまいよ。

午後イチでまた、高井戸行を拝命。
データディスクと書面の受け渡しの際、先方の担当者から、「●●●(業界用語)のことって、ご存知ではないですよね?」という。
実は知っているが、ここは単なる「お使い」役に徹することにする。
妙に知ったかぶりをすると、少なくとも面倒くさい「伝言ゲーム」に巻き込まれるか、悪くすると新しいトラブルを引っかぶるのがオチだ。
そういうことは、「上の方」同士でやってもらうことにする。
神田川の桜は丁度見ごろだったが、何もかもをなくしてしまったような気分の、今の俺の目には、今日の一面曇天な空模様と同様、全くその華やかさが心に響かない。

単に俺の側の、気持ちの切り替えがうまくいかないせいだな。

今の身分だとそこまでやる必要はない、といわれたり、逆に「そこまではお前の責任だろ」、といわれたり…ハイ・コンテクスト社会では、精神的に病むことなく職務を全うするのは難しいぞニッポン社会。
あいにくとニュース番組の中で語られるような、夢と希望に満ち溢れた年度始まりなんて、一度も経験したことがなくってね。
区切りのいい年齢の誕生日にも、むしろ考えうる限り最悪だった記憶しかないな。
大学浪人中で、成人式の日も予備校で授業を受けていた20歳。
仕事もなく30歳になった日は、(ステロイド剤による)リバウンドで全身の皮膚がなくなってしまっていて、身動きできずに寝たきりだった。
丁度「結婚式で歌ってくれ」という友人や同級生からのハガキが舞い込んでくる時期に重なっていて、それ自身はありがたい話ではあったけれど、お断りするしかなかった。
中にはかなり強引なお誘いをしてくる人もいたりして、そうなるともう我が身を守るためには「絶縁」という苦渋の選択しかできない、ということも。


今日も定時に仕事を終えられたので、定期券を使って初めて途中下車してみた。金曜日の船橋「まちかど音楽ステージ」。
…今夜も「カラオケ」のオンパレードかよ(ミニPAシステムの見本市…だと捉えるにしても、さすがにもう飽き飽き)。バックはオケでもいいけどさ、伴奏楽器のひとつくらい、ちゃんとかき鳴らしながら演奏してくんないかな。パフォーマンスの一環としては。
今夜もハズレか。早々に引き揚げよう。
というわけでまた、夕食は最寄駅の牛丼屋に入ることになってしまった。
意図せずいい演奏にめぐり合えたら、速攻デパ地下で弁当でも買って、略儀ながらの食事とともに演奏を楽しみたいとずっと思っているのだが。
思えばここ数ヶ月、船橋に立ち寄ってはその場を後に牛丼屋、という繰り返しパターンに、はまり込んでいるような気もする。


にわか雨の中を部屋に戻ると、隣室のドアについていたキーボックスがなくなっており、廊下越しに窓の中を覗くと、灯りが点いている(!)。
数年前の俺の入居時のように家具・調度品はまだ届いていない状況のようで、中に人の気配がした。
とりあえず歓迎の意と、先住民としてナメられないよう、モニタースピーカーにエレキギターの曲を爆音でかけてみた。
…若いのがふたり(男女)、居るようだな…と思ったら女性はどうやら母親だったようで、そりゃ大学生の母親も今となっては俺より若いわけだった。