俺寄で、歌ってきました…が。

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この場でも何度か取り上げたことがある『「人間嫌い」の言い分』(長山靖生)。この本に出会ってからというもの、自分は間違いなく「人間嫌い」側なのだなと自覚した。


最初に強調しておくが、以下は個人の感想であって、運営に落ち度や失礼があったという話ではもちろんなくて、あくまでも俺の側の問題(そう、これこそが社会生活上、ずっと俺が抱えてる問題)だ。

前日のWINS阿佐ヶ谷のワンマンライブを八面六臂の大活躍で仕切ってくれたわかから、やはり喉を傷めてしまい声が出ない、とのメールが来たとき、俺はもう会場に着いていた。
人間の身体表現であるアカペラ、こういうことも稀にはあるし、実は何度か経験もしている。
何より歌える場があるのに自身が歌えない状況であることの辛さは、同じ歌い手として痛いほどわかる。

会場にはなじみの顔ぶれが思いのほか多く、俺もまだ捨てたもんじゃないなーと思ったものの、そんな「アカペラ公園の同窓会」という響きにわくわくできたのは、ほんの冒頭30分ほど。その多くは何とStuck時代からだったりして、当時どうやってここまで顔見知りを増やせたのか、もうすっかり忘れてしまった。
いつの間にかツレがいて、大きくなった子どもと一緒に歌っていて、あるいは孫がいて…という光景に、過ぎ去った長~い時間の自身の「生産性」のなさを思い知らされ、眩暈がする。
まぁ同窓会って、そういうものだけどなー俺にとっては。
5年後、は無理でも10年後なら?*1 俺が(例えば嫁さんとか子どもを連れて)この人たちの輪の中に同じようにいる光景が、少なくとも今の俺には全く想像することができなかった。この先取り戻せる気が、全くしない。

とはいえいいオトナなんだから自分から挨拶に回れよ、と思うわけだが、一旦座っちまったら固まって動けない。HSP(Highly Sensitive Person)気質のスイッチが入っちゃった俺にとっては、「一対多」にしか見えない環境。何人もの人たちが、こんな偏屈な俺のところにわざわざ来て挨拶してくれるのだが、もうこうなると共通の話題が咄嗟に見つからない、ちょっとしたパニック状態。

ほどなく始まった宴では、本当に芸達者な人たちが次々に出てくる。
普通にライブとして観たら、「チャージ取らないの?」というレベルの高い演奏が続々と。この後自身が演奏する側じゃなければ、心の底から楽しんで早々にビール煽って寝落ちしてたかも知んない。
この時点でまさかの「俺寄」全員出席に、真司さんから「演奏」の提案。嫌~な予感は、してたんだが。
所詮ウチワの宴会なんだからノリが悪いといわれればそれまでだが、誰が決めたかわからない「みんな」のノリに合わせなければならない、というのにもまた、猛烈な抵抗がある、すっかり「人間嫌い」の俺だ。
快く俺たちをステージに呼び込んでくださった方たちももちろん「ウチワ宴会だから、いいじゃん」だったわけだろうけれど。

俺の知る限りにおいて、先ほどまでの「芸達者」な方たちの中には社会人として様々な事情から数年ぶりに人前で歌うというバンドも多くお見受けした。彼らはきっと、今日のこのたった一回のハレの舞台のために、自分たちなりに誠意と熱意をもって練習されてきたと思うんだよ。
それを尻目に、ステージに上がってから曲を決めて、もう2年以上も歌うどころか一度も顔を合わせてもいないメンバーで歌うってことが、どれほど失礼で無謀なことだったか(楽器のセッションならよくあることだが)。
そして火を見るより明らかな、惨憺たる「結果」。
こういう演奏強行が嫌いになっちまったきっかけは俺の場合、かつて学生時代の先輩の結婚式余興で当日になって同じようなことさせられて以来のトラウマである。その先輩(結婚された方じゃなく、当日になって俺を引きずり込んだ方)とはその後も何度か顔を合わせる機会はあったものの、今に至るまで絶縁状態のままだ。まぁ今回は結婚式じゃなかったけどさ。
ステージに上がった俺は、この急な展開にさぞかし仏頂面だったんだろう。
演奏終わって、日ごろから気心知れた友人から「俺寄、もっと真面目にやってよ(笑)」といわれる始末だ。
もっともこれは後になってツラツラ考えるに、今の演奏に対しての感想というよりどうやら、「ちゃんと活動(再開)してよ」という趣旨だったように思う。見当違いな反応を返してしまって、すまん。
その俺はというと、このメンバーでの(パート順の)立ち位置すら思い出せないまま歌いだすことになり、我ながら愕然とする。
曲自体はWINSでも何度か取り上げているものだったので、俺は楽譜を見ずとも歌えたのだが、その際にアレンジを一部手直ししていた。案の定、エンディングで俺の音がベースに割り込んでしまう。
そして、もうここ3年も「WINS仕様」になっている俺の声が溶け合わないのは如何ともしがたく、同じ男声カルテットでこんなにも違うものかと思ったが、歌っていて何とも居心地が悪かった。
「当時あれほど歌えた人たちでも、練習しないで人前に出すとこんなんなります」
という、格好の事例になったに違いない。
ましてや俺寄の過去の演奏に触れたことのない、比較的若いアカペラーの方たちにとっては正直、「いったい何様だよ?」だったことだろう*2

俺自身も心ひそかに、もしかしたらこれを機に活動再開か? と思わなくもなかったが、演奏後「俺寄、よかったです」と複数の方々から声をかけていただくにつれて気持ちが冷めてしまい、どうもピンとこない違和感だけが残った。皮肉なことに今の俺はもうすっかり自分自身、「WINSの阿仁さん(ばらーきぃさん?)」なのだということを思い知ることになった。
もちろん他意のない、あの場での演奏努力に対する評価*3であるのは、頭では理解しているのだが…。

直後に演奏させていただいたWINS阿佐ヶ谷の方はもちろんアレで、(わかが)「緊急事態」だったから、他ならぬ真司さんにお手伝いいただいたから何とか形にはなったものの、演奏自体を「よかった」とはなかなかいってもらえる状況でもなかったが。

以上のような顛末で、俺の中では結局「何も動かず」、何の感慨も沸いてこなかった。
「過去の栄光」(らしきもの)は、俺にとってもうどうやっても手の届かない、終わったことでしかなく、俺個人は周りの方々に支えられつつ運よく今も「現役」記録更新中なので*4、こんな他人にとっては些細なことにも頑なになってしまう、「人間嫌いの矜持」なのだった。
あの場で自分が歌えれば満足、と気持ち割り切ることが、どうにもできない性分だ。
「俺様」(笑)がわざわざ出向いてって歌う以上は、まず最低限どうあっても、自身が満足できる演奏でありたい。なんとも傲岸不遜ないい方になってしまうが。
長い出待ちの時間が終わって、ようやく缶ビールにありつける状況なわけだが、どう考えてもうまいわけはないので開栓せず持ち帰ることにした。次の仕事休みにでもまた、江戸川でいただくとするか(笑)。

「同窓会ってメンタル強い人たちが集まる場所なのよ」(マツコデラックス)

あの場を思い思いに愉しんでいたみんなの気分に水を差してしまうような朴念仁ぶりには、我ながら本当に困ったものだ。
今回は旧知の「かわさん快気祝い」を兼ねていたこともあり、自身としても無理を圧して顔を出した体だったが、だからこそ本来なら、事前に入念な練習もしておくべきだったはず。
俺自身にとっては、これだけ人間嫌いを自覚してるんだからこうなるのは自明の理なので、やっぱり「同窓会」と名のつくものには今後一切、出るべきでない(どう考えても、メンタル弱いし)し、それが何よりお互いのためでもあると思い知ることになった。
昨日のライブを走りきった達成感は一気にどこかに消し飛んでしまい、完全撤収は17時だったが、23時くらいまで飲んでいたかのような気疲れ具合で、さすがに今日の今日での「江戸川飲み」も、無理そうだ。

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帰りの浅草橋駅にて。
「人間嫌い」の言い分 (光文社新書)

「人間嫌い」の言い分 (光文社新書)

*1:ってさらっと書いてるけど、そのときいったい俺は何歳になってると思ってるんだよ?!

*2:俺が逆の立場だったら、絶対こう思う。

*3:それがオトナというものです

*4:因みに「俺寄」の他のメンバー3人も、活動頻度はわからないがそれぞれ「現役」ではある。