節目?

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そういうわけで例話、零羽、零把…え~い、令和の瞬間は実家で、家族と迎えた。


このGW中の予定を「交通整理」したら偶然こうなったのだが、後で思い返して「家族で過ごしてた」というのも悪くなかろう。
平成終わるってよ…節目とかいわれても、(基督教)世界では2019年なんだけどな。
実に久しぶりにテレビ特番というものを見ながら*1、アベが遊説に来るといっても顔も見たくないが、こんなことなら正月参賀には皇居に行ってくればよかったなと、今頃になってちょっと後悔。やや感傷的な気分にはなった。
「平成を振り返る」つったって人類の歴史からいったら、たかだか30年。されど30年。
昭和が平成だったから俺がどうだったとか、全然ピンとこないが、明らかに雇用環境は悪くなり、経済格差だけは広がったな、という実感が残った時代。
父はこの2日間とも、元職場の方々と同窓会で出かけたが、俺が教職に就かなかったことについては「就いてたら早々に、潰されてただろうな」という。
体力的なことはともかく、こんな思ったことをそのまま口にしちゃう俺のようなヤツが、しかも専攻が社会科とか。
俺もそう思うし、とりたてて子どもを相手にしたいのでなければ、今はどんな仕事に就いていても「教育的視点」を持つことは無駄ではないな、と思う。一緒に刺激しあいながら高めあっていける「生徒」も、どこの職場にだっている、と思う。
ただでさえ「即戦力」ばかりが求められる世の中になって、社員はお互いにアラ探しばかり。人の適性を見て、伸ばす、という時間と手間のかかることをやろうとする会社は少ない世の中にあって、俺も自社で人を育てろ、とまではいわないが、せっかく雇った人を一面的な評価だけで「カテゴリ固定」、バッサリ斬ってしまうのも職場がギスギスするだけだし、どうやったら限られた人材で効率よく仕事を回すか、が問われているからこそ。
…しかし実家には3日以上いるもんじゃないな。
退職教員って、要は生活指導教諭と一緒に暮らしているようなわけで、父と俺の場合3日目には必ず小言が始まるのだ経験的に。

*1:部屋のテレビは昨年12月にコンセントを抜いてしまって以来、つけたことがない。