合宿1日目。

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自家用車のある生活って、単に移動手段が異なるというだけに留まらず、生活空間への認識も、全く違ったものになるんだろうな。
活動範囲と自由度が広がるだけでなく、移動目的に合わせた荷物だって少しは積めるし、何より公共交通機関都合の時間に合わせてではなく、あくまでも主体的に移動することが「日常」になる。
今回のように仲間内で合宿、なんてことにでもなれば、「誰かのために」という局面だってあるわけで。
日本もちょっと地方へ行けばすっかり車社会だし、いまどき自家用車を持っているくらいでは特別生活が裕福というわけでもあるまいが…未だに免許すら持っていない俺は、羨望と憧れからやや大仰に考えすぎているフシもある(笑)。


もちろんバンドのメンバーが特別贅沢やら華美な生活をしている、わけではなく、生活に年相応のゆとりがある、というだけで。
ちょっと遠出したんだし、せっかくだから少しは羽目を外してみる、くらいのことだって、むしろ旅行の楽しみでもあるだろう。一方、今の俺にはそんなささやかに羽目を外してみるだけの、生活も気持ちの余裕ももてないのだった。
これまでずっと意識しないようにしていたが、いったいどこまで堕ちて来ちゃったんだろう俺。
いつになったら年相応な暮らしが、できるというのだろう。
今回の合宿費用を捻出しようとしたら、一日あたりの可処分所得が¥700になってしまった。
そんな思いをしてまで出かけたわけだから、いつもながらに「録れ高、ほとんどなし」などと歯に衣着せずいわれたら、そりゃーいつもよりは多少腹も立つというもの。

この合宿を前に、当然練習後の打ち合わせや事前のメールでのやり取りを重ねていたわけだが、どうにも話が噛み合っていないもどかしさ、というか俺からすると的外れと思えるやりとりが続いていたように思う。
現地でフタを開けてみて、ようやく俺が思っていたよりも「上」の仕上がりを目指していたらしいことが判明したが、それだったら14曲というセットリストの提案自体が、どう考えても欲張りすぎだ。
提案された方は、今回は最初から仕上がり度外視で、数をこなしながらメンバーの経験値を揃えていく方針なんだな、と思うじゃん。合宿だから、日頃の練習スタジオほど時間管理がタイトである必要はないものの、それにしたって限度はある。
たとえたった4人のバンドでも、全員のコンセンサスを取るというのが時として難しいこともあるので、いよいよ合宿の日が近づいてきて、まだしもそのうち2人が同意見だったらなんとかなるんじゃないかと窮余の提案もしてみたが、「面倒くさいので」とまでいわれちゃえば、もうこちらから申し上げることはない、事前すれ違いぶり。
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そんなわけで俺としては割と、ああやっぱりね、な結果だったりする。
演奏上のミスも、少ない録れ高も、途中から俺の声が出なくなることも。

「録れ高極少」の最大敗因は思うに、録音という特殊な環境で、俺も含めてちゃんとディレクションをできる人間がいなかった、ということに尽きる(エンジニアはいたが)。
俺としても、歌いながら自身の演奏を客観視する余裕は全くなかったが、人前に一度も出したことのない曲についてはもちろん客席の反応を具体的にイメージすらできず、本番演奏が「練習10回分」といわれる所以だ。
また、「楽譜の風景」が変わった程度のことにも、思った以上に足を引っ張られた。逆にこの程度のことが演奏内容に大きな影響を及ぼしてしまうほど、余裕がなかった。
だからといってやみくもに同じテイクを何度も繰り返し録るだけでは、こなれて来れば多少演奏上の「傷」は減るかも知れないが、決して演奏上、自分たちの演奏表現に幅が広がったわけではない。
なにしろ動画とも違って、音に表れてこないものは一切伝わらないのが録音の怖さだ。
欲をいえばこの辺りをむしろ「掘って」でも、みんなで少しクリエイティブな経験ができたりしたら、バンド全体としてもより有意義な経験にできたのではないかと思うんだが。
思うにわざわざスタジオという人口環境で録音をするのは、録った音源を最大限「いじる」ためだ。
演奏そのもののクォリティーはともかく、いくらアコースティックな音だからとはいえ、こういう録音で作り上げるべき音源は、曲に対する演者のイメージをある程度「誇張」表現することを目的とした、生演奏とは全く別次元のものをつくるためだ。例えばある曲のどの部分をどういう風に「誇張」するか、音量であったり各パートのバランスであったり、ときにはエフェクターなどの機材の力も借りながら、その完成像をあれやこれやイメージを膨らませつつメンバーで互いにアイデアを出し合うことができていたら、今後の演奏姿勢にも否が応にもフィードバックされて、表現の幅を大きく広げる経験になったことだろう。
逆にいわゆるライブ録音をつくっただけで満足するのなら、ここまでの高価な機材や大掛かりなセッティングは必要ないし、スタジオ録音という作業そのものに対してのイメージが貧困すぎるといわざるを得ない。さして「いじらない」のであれば、実際のライブにマルチトラック録音を導入すればいいだけの話だ。生き生きとした演奏を録りたいのであれば、これに勝る方法は実はない。

また、これは俺の経験上も緊張している人にいくら「リラックス!」ということばを繰り返しかけてみたところで、そう簡単に(音から)緊張感がとれたりはしない。
それよりもあの場において必要だったのは、具体的な「処方箋」、これこそディレクションそのものだった。
というわけでどっちつかずの中途半端な録音ばかりになってしまったであろうことは想像に難くなかったので、「録れ高極少」といわれればそうだろうなーという感想になる。

ポートレートの撮影現場というものに、1度だけ仕事がらみで立ち会わせてもらったことがある。
当たり前だが証明写真のような写真では使いものにならないので、そこは初めて顔を合わせるモデルさん(このときは会社のスタッフ・・・素人)相手に、カメラ映えするポーズの要求・・・かと思いきや、カメラマンからの指示はせいぜい目線の方向くらいで、30分ほどの撮影時間中はずっと、いわゆる「世間話」というヤツ。
そうやってその人の魅力的に映る人となりを、表情に引き出していく地道な作業だった。
より多彩な表情を捉えようとすれば、冗談で笑わせるだけでなく、初対面特有の堅い場の空気が薄まってくるにつれて、時にはちょっとイラッとさせるようなことも話術に織り込んだりする…。
そうやって、相手が素人の狭小な表現幅であっても、そのポテンシャルを最善に引き出そうとするのが「現場の話術」というものなのだろう。
この先は意見の別れるところかも知れないが、演者に緊張を感じる隙を与えないほど矢継ぎ早に具体的な指示を出せていたなら、ポートレートの事例同様、我々の「録れ高」も演奏内容も全く違ったものになっていたのではないかと、今の俺は思っているわけだ。
臨機応変に、曲によっては気分転換も兼ねて、いっそオーバーダブ(ひとりずつ録音)に切り替える、というのも、使えるテイクになるかどうかは別として表現力の幅を広げるいい経験にはなったかも知れない。

他人事めかして「所詮、この程度」などと思いたいわけでは決してないが、なにせまぁお互いに初めての試みだから、正直仕方ない部分は多かったとは思う。
実感として演奏上の課題は、数にしてそんなに多いという気はしなかったが、ここから先、ひとつひとつはそれなりに厚い壁となって立ちはだかるはずだ。
一方でこれを乗り越えればまたバンドとして「ワンアップ」できるのも、間違いないところ。
仮にも万が一乗り越えられなかったからといって、墜落死しちゃうわけでもないしな、音楽活動の上での話は。
自分にできることを、真摯に続けていくだけだ。

とはいえ俺も、早朝から狭くて騒々しい車内に閉じ込められての長距離移動ですっかり体力消耗しちゃってて、せっかくの軽井沢、苦し紛れに、いっそひとりだけでも電車でくればよかったか、などと思う始末だ。
途中、現地のスーパーマーケットでの買出しに全員車を降りたときは、長時間同じ姿勢でいたときの常で腸がシクシク痛んでいた。
スタジオ内でも、投げかけられたことばを適切に打ち返すこと自体が元々得意な方でもないが、これもそんなわけでいつも以上にレスポンスが落ちていたことだろう。
はるか喧騒を離れただけに、録音環境はそれはとても素晴しかったのだが。
運悪くはっきりしない天候だったものの、東京よりもはるかに涼しかったし、何より周囲はまさに「高原別荘地」といった趣で、雑音もひと気も全く感じなかった。
返す返すも「最初のボタンの掛け違い」が恨めしく、周囲が明るかろうが暗かろうが、いっそ休憩時間にはスタジオを出て、散歩くらいしてきてもよかったかもなぁ。
そもそもそのくらいのことを思いつく気持ちの余裕すら、なくなっていたらしい。
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案の定、後半も早々に俺の声が出なくなることまでが、実は俺自身、事前想定の通りだったりもする。
事前準備での行き違いから始まってこのような精神状況、加えてあの京アニの事件あたりから公私ともに何かと心労続き、やや投げやりな日々が続いていたこともある。ここまでの体調管理も万全とはいいがたかった。
単なる録音現場での疲労に加えて、俺が今想像している通りメンタル面が本来原因だったとすると、もしかしたら今後「戻らない」確率もまたゼロではない、という疑念も拭いきれずにいる*1

ここまでの話が一向、ツカミどころがないのは、他ならぬ俺自身がまだ、今回の動揺から脱しきれていないことによる。
っつーか何で合宿翌日、録音結果に触れるのはタブー、みたいな空気になってんの?! (^^;
(って俺の仏頂面のせいだって…)
同じ過ちを繰り返さないための、自分自身への備忘録。
とも思ったが、得たものよりも失ったものの方が大きかった印象なので、来年も同じことやるんだったら、俺は不参加でいいや。

そしてこの合宿は終わっても、俺の「一日700円生活」は次の給料日まで続く…。

*1:違ってたら後に笑い話になるだけだが