残暑お見舞い申し上げます。

実はこの(会社の)夏休み少し前から、狙い済ましたように部屋のクーラーの調子が悪かった。
水分摂取を控え(!)、一晩クーラーを切って寝ただけで死亡できる昨今の気候。
本当に便利な世の中になったもんだ。
職場の同僚には、休み明けの俺が無断欠勤だったらちゃんと「回収」しておくれ、とだけ申し添えておいた。
一応この機会を捉えて担当業務一覧表なるものを仕上げておいたので、俺亡き後も仕事の割り振り自体はスムーズに進むかと思われる*1

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わざわざ作らなくても、あと数年でそこらじゅうがこんな景色に。


公立高校の貧乏・光画部*2、その暗室には冷蔵庫なんてーものはなかった。
各教室にすらクーラーがなかった時代に、もちろん特定の生徒しか使わない部室ごときに、クーラーなんかつけてくれるわけもない。
現像や定着に必要な薬液は季節に関係なく温度管理が必要なので、暖めるより冷やすことの方が大変なのを身を持って知っている。
冬場に暖めるのは電熱器を使ってやれば一発だが、夏場の冷却は水道水や買ってきた氷で、器の外から根気よく時間をかけて冷やすよりほかに方法がない。

更に遡って小学校の頃。
夏休みの自由研究で天気と気温を記録していた、という人も多いんじゃないかと思う。
俺の小学生当時は、夏といえども30度を超える日は本当に数えるほどで、自由研究史上(笑)も、それ自体ちょっとした「事件日」扱いだったものだ。

2000年代になって仕事関係を通じて耳にした話だが、汐留に某TVキー局庁舎が建ったことがトドメとなり、東京湾からの海風が完全に遮断されたためにとうとう皇居の黒松が枯れはじめた、という話が、環境系NPO関係者の間で話題になっていた。
関連性は不明だが同じ頃、東京駅の大丸デパートが設計を変更、現在のように中央が低くなっているのは、海風を遮らないための配慮だったという噂もあり、どこまで本当の話かは今となってはわからない。

アスファルトとコンクリートで塗り固められて人口密集のキャパシティをとっくに超えた街は、蓄えた熱を容易には放出できない。
病院や学校、公民館、電車やバス、スーパーや百貨店、店舗やコンビニなど、広い意味で公共性の高い場所にもクーラーが標準装備されるようになり、個人宅でも今やクーラーがない家を見つけるのが難しくなってきた。

クーラーそのものの排熱だけでもかなり暑いが、近所に買い物に出た際、若いアベック(笑)の乗った自家用車が少しでも横断歩道にはみ出して止まろうものなら、「寄るなっ、しっしっ!」という具合で殺意すら芽生える(違)。なにしろ中でガソリンを燃やしているエンジンが出す熱は、クーラー排熱の比ではない。だが車内さえ涼しければ、その外の世界がどうなっていようと全く知ったこっちゃないのだ(まったく、涼しい顔しやがって)。

こんな状況で仕事を終えて部屋に戻れば、さすがに俺も、天井の照明より先にエアコンのスイッチに手が伸びるのがすっかり習慣化してしまった。
次月の電気代請求額が、真夏のホラー以上に怖い(東電って、バケモノ会社だよな、いろんな意味で。)。
いったい俺を含めた都市生活者は、電気代もそうだが、ひとり当たりどれほどの熱量を費やせば気が済むんだろう。

地球そのものの温暖化も深刻な問題だが、恐らくこのペースで夏場の気温が上昇していくと、その前に都市とその周辺が滅びる。

実際、高温化により不安定になった天候は、都市より周辺地域で気まぐれにゲリラ豪雨や竜巻をもたらし、地形的に不利な場所から、元来自然のもつ冷淡さで「生命が削り取られている」ようにも見える。

自分の部屋の外がジャングルになっていようが、差し当たって自分の部屋の中が涼しければいい。
そういう生活価値観を改めないと…といっている時期は、もうとっくに過ぎた。
俺ももう、あの小学生の夏には戻れないし。

お盆の時期を過ぎて、さすがに朝晩はだいぶ涼しくなってきた。
夜の、駅前コンビニまでの散歩が楽しい季節。
しかしこうして夜更かしをすると気付くが、部屋の寒暖計は、部屋を出た先刻よりむしろこの時間帯になって上昇してきている。あけ放った窓から風は入ってきているのに、だ。
建物そのものが昼間の日射によって蓄えてしまった熱を、部屋の中に向かってずっと放出しているのがはっきりとわかる。いっそ外にいた方が涼しい。
結局、まだしばらくはクーラーの使用を止められそうにない。

*1:マニュアルは作成未着手だがまぁ、俺もマニュアルによって引き継いだものはひとつもなかったので、過去の記録のありかだけわかれば何とかなるだろう。

*2:写真部のこと。