結論ありき、の罠。

今回は7月以来の人前での演奏だったこともあり、演奏上の細かいことやこのところのメンバー間の感情の行き違いを思っている暇もなく演奏そのものに集中することができた。歌唱生活も長くなってくると、こういうのは自動的に気持ち切り替わるものらしい。
やっぱり俺には、イベント演奏くらいが「身の丈」なのだろう。
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自身も客の立場だったら、そもそもアカペラという演奏形態だけで1時間も2時間も飽きずに聴いていられるかというと(俺にとってアカペラは観るものじゃなくやるものだったので)無理だ。
昨年12月のうみ&マト宴会のような「多芸」な方たちが続々と登場するのならともかく。あるいは数多ある音楽の演奏と同等の「見せ方」ができるバンドだとわかっていれば足を運ぶこともあるが、「アカペラ」という看板だけでは選んで聞きに行こうとは思わない。
もちろん俺自身もそれほど多芸な人間ではないが。

そこで、俺だったらできればアカペラ以外のバンドにゲスト演奏をお願いしたくなるわけだが、何より俺自身の困窮ぶりから、親しい人たちのライブにすらもう長いこと、思うように足を運べないでいる。これでは人脈の広がりようがないので、最近はすっかり手詰まりだ。

ご存知のようにそもそも「ご招待」でない限り、ライブハウスに行くにはチャージ(席料)が必要なわけで(通常、飲食は別料金)。
それでも生演奏のもつ独特な気迫は他では得難いもので、21世紀の今、どんなに再現性の高い機械を使ってもライブ独特のあの、場の空気感までは未だ再現できていない。

しかし、形はどうあれ(別にアカペラじゃなくてもいいんだけど)ただ単に好きな歌を好きなように歌っていたいというモチベーションだけの俺のような「ズボラ演者」の場合、集客だのチャージだのという問題は何より煩雑で悩ましい。

チャージ取るから、1時間以上やらなきゃならない?

1時間以上やるから、チャージを取らなきゃ?

どっちが先だろうが、今の俺には全く興味のない話だ。
自身の演奏に「チャージ料をとる」ということについては、実はこれまでもずっと割り切れない違和感を抱いてきた。
いったい、それほどの価値があるのか?
歌う側にしてみたらそもそもチャージを取るライブだから頑張るし、チャージがないから今日はラクに行こう、という話でもない。そんなことは40年もの歌唱経験の中で誓って一度も、考えたことがない。
ある程度のカネ! を払えばそれなりに質の高い演奏が聴ける、という資本主義システムは「利用者」にわかりやすいという点ではありがたく、翻ってチャージ料の多寡がそのバンドの「格」をあらわすので演者側の励みになることもある。
しかし、カネがないと生演奏を楽しむことすらできないというのでは、これからまだまだ年金暮らしの「おひとり様」(俺たち)が、気の遠くなる長~い時間を過ごしていかねばならない超少子高齢化社会でお先真っ暗、夢も希望もない話じゃないか。
どうしても仕掛けが大きくなってしまう楽器バンドなら「必要経費」といういいわけもあるかも知れないが、今我々がアカペラと呼んでいる演奏スタイルは、楽器すら買えなかった人たちが、それでも音楽を演奏したいという強い思いだけで街角に各々身体ひとつで集まり、当時の流行歌をハモり始めた「ストリートコーナー・シンフォニー」が起源の音楽なわけで。
なおさら、安易にハコに閉じ込めて「手の届かない音楽」にしちゃっていいとも思えないのは、俺だけだろうか。

音楽を志すもの誰しもが当たり前にソコ(主催ライブの開催)を目指す、というのも、なんだか独創性のない話だよな。
今年もミヤジャズに出演させてもらってそんな思いを新たにしたのだが、存外俺にはこういうイベントの方が性に合っているのではないか。
今や全国に数多あるイベントに行けば毎年必ず、その演奏に出会える、というバンドのポジション。
本当に俺たちの演奏を聴きたいと思っている人たちがいたとしたら、ハコにお招きするのではなくこちらからお伺いする。
なにより俺自身もこれまで、こういう場で素敵な演奏に出会ってきたし。

自分たちがやってきた音楽活動が人後に落ちないという自負だけ携えていれば、これだけの環境で俺には十分すぎる。

何より「観覧無料」だ。演奏時間枠も厳格に決まっているので、自分たちとしてもピリッとした演奏になる。
曲間のしゃべりも含めての緩急で恐らく30~40分くらいが、今のこのバンドとしても「身の丈」なんだろう。
始めに長い時間枠ありき、にするとまたベタな企画ステージとかひねり出す羽目になって、俺が最も嫌いな「N●K歌謡ショー」みたいなテイストになっちまう。
わざわざアカペラで、今のバンドのメンバーを使ってやりたいことがコレなわけか、とずっと思っているが…最近はもう、反論する気力もない。

ライブ開催にあたっての諸々が、単に面倒くさくなってきちゃったっていうことなんだけどね。
仕掛けがデカくなるほどメンバー間での意思疎通が必要なことも多くなるが、これも現状、あまりうまくいっているとはいえない。
集客用のチラシなんか勝手につくってバラまかれちゃって、まーあることないこと書かれちゃって。
そのチラシに掲載するために、チャージ料の設定根拠については一度も説明があったことないし(どうもこういう、「納期」があるから事後承諾な、みたいな仕事のやっつけ方に、今の職場の上長と同じ匂いを感じとってしまうんだが…職業病?)。
挙句、終わったあとで演奏内容と関係ないことにあーだこーだといわれるのも正直面倒くさいんで*1
お互いにそんな思いしてまでわざわざライブやる必要、あります?

因みに、「改めていわなくても、空気読んでよ」は俺に限って通用しないと思ってくれ。
俺はそんなに器用な人間ではないし、バンド運営でお互いにそれを当たり前とすると、いともたやすくいいたいことがいえない空気になっちゃうから。

アカペラってやっぱり単なる「演奏形態」であって、アカペラで何を演ろうとするかは人によって、思っている以上に相当違うものらしい。
音楽の嗜好が「全く同じ人」なんていた試しはないけれど、ある程度「価値観」が似ていることは思ってる以上に大事なことらしい。

モチベーションの創り方は、人それぞれ。
同じイタの上から見える景色も、ちょっとした環境の違いで全く違うものになる。

俺にとっても高くついたなー、この「授業料」は。
それでもLeadじゃなかったら、あと2年くらいはもったかもなぁ。
これがまだしもコーラス担当だったならシラッとストイックに伴奏役に徹することもできたかもしれない、自分の気持ちと歌詞とのズレ幅が、どうにも気になりだしちゃって。
選曲の偏り方も妙に、以前在籍したバンドのいじましさを彷彿とさせるようになってきてたし。

こうして演奏環境も気づけばいつの間にか、俺の中ではやってること「合唱団と同じ」くらいガチガチに固められちゃった感しかないんで、それでもライブありきなんだったら年に1回「定期演奏会」くらいのぶち上げ方でいいんじゃねーだろーか、という思いが年々強くなってきている。
なきゃないで別に、わざわざやろうとしなくてもいいし。
別にライブ開催しないと生活に困るわけでもない(開催しなくても、経済的にはいつも困ってるけど(^^;)。

*1:お陰様で、最後の迷いがふっきれましたが。