テリトリー。

昨夏はなんとかやり過ごせたものの、エアコンの調子が悪い。
冷暖房とも今のところ稼働できてはいるが、アラートランプが点滅したままで効きもいまひとつな感じ、電気代も心配だ。
元々暖房器具としては使ったことがないのだが、今年の夏も昨年同様の状況になるのは日を見るより明らかなので、それまでには何とかせねばなるまい。
意を決して不動産屋へ電話を入れたら、専門業者が状況確認に一度来訪してくれるとのことで、今日の9時から10時の間、ということになった。
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この部屋に誰かが立ち入るのは、何年も前にカノジョと別れて以来初めてかも。
ネット通販での買い物を中心に宅配便の配達ですら、物流のはしくれに身を置いた経験から再配達になるのが申し訳なく、もうずっと前から専らコンビニ受け取りにしているくらいで。
やはりちょっと、身構えてしまうか。
職場で顔を合わせる同僚以外、まして自室で人と会う機会がもう長いことなかったので、対面モードの「スイッチ」を入れるだけでも、いつにも増して大きなエネルギーが要る感じ。
そういえば念願の「ふなばし」に出演を果たしたとき、メンバーに一度だけ水を向けたことがあったが、誰ものってこなかったっけ俺、嫌われ者(笑)。
そっか、直近では「みなさまからのお支払い」テレビ局の、一連の攻防戦以来だった。


そういうわけで、物置と化している玄関の使い方に始まり、今やすっかり来訪者を想定していない暮らし向き。
さすがに手早く体裁だけでも整えることにした。

玄関に「一時置き」してあった物どもは、一旦バスタブ内へ移動(単なる隠ぺい)。
出しっぱなしでいったい何人暮らしだよ、になっている靴は、靴箱の中へ。
花粉症対策もあって部屋干しがそのまま「ワードローブ」化している洗濯物は、所定の場所へ収納。
いつの間にかバスルームのドアノブにかけてあったハンガーが定位置になってしまったGパンも、所定の場所へ。
これもいつの間にか山積みになってしまった本には、せめても目隠し代わりに手ぬぐいを被せる。
なぜかドラムケース上にあったキッチンペーパー(?)は台所の食材ストック場へ*1
逆に、こたつ上に雑然と広げてあった領収書束は、クリアケースにまとめてドラムケース上を定位置に変更してみた。

それからようやく。
エアコン室内機のフィルターに掃除機をかけて、アラートの点滅状況が変わらないことを再度確認。
その際、リモコンの電池が切れかかっていたようなので、一応電池を入れ替えておいた。

7時に起床してゆるゆると朝食、7:30からこれら作業に着手したが、8:10頃には終わってしまった。
今日のうちに、修理という話にまではならないだろうが、立ち合いが終わったら洗濯して、いい機会だからすっかり片付いた状態の部屋には掃除機をかけておくか。
どうせまたすぐに、いろいろ広がる(笑)。
丁度ラジオで交通情報が流れていて、なぜか今日は近所の地名がやたらに聞かれるな、と思っていたところ、10時少し前になって、「途中渋滞中なので少し遅れます」との電話が入った。
勢いでこたつ布団まで一旦撤去してしまったのだが、これは不要だったか…来訪を待つ時間が、長くて寒い。
自分の部屋なのに間がもたない。いつの間にか、待つことがすっかり苦手になってる。

電話での連絡があった通り、10時を少し回ってから若い2名の男性作業員が来訪。挨拶もそこそこに、状況の聴きとり、確認(と現場写真の撮影)だけで、5分もかからなかった。
管理会社から大家さんと不動産屋へ交換申請してもらえる、とのことで、この申請が通れば交換工事に進める「双六」。
改めて機体表示を確認すると「2007年製」とあったので、「寿命でしょう。この申請はまず通りますから」というありがたいおことばとともに、お帰りになった。

コロナ騒動のお陰もあって、元来神経質な自分が過剰に立ち現れてきてしまっているようで。
もう何年も他人が踏み入れたことのない俺のテリトリーに、「侵入」された感だけが残ったひとりの部屋。
こういう俺の感覚の方が、もはやおかしいのだが。

まだ十分に間に合う時間だったので、午前中の施術に整体院へ行った。
仕切り向こうの先客は、顔は見なかったが70歳代くらいの杖をついた男性で、あとで先生の曰く「運動しすぎ」だそうだ。
あの年代の人たちは「人の意見に全く耳を貸さず、自説を曲げようとしない」んだとか。
この発言で俺の頭をかすめたのは、『反社会学講座』で一番暴力的(笑)と分析されていたのが当時60歳代だった人たちだったという話で、今は恐らく70歳代後半くらいになっているはず…。
しかし今のような状況で家にいて、加齢とともに運動で頭を使う機会が減っていくこと自体が相当不安なんだろうなぁ、とは思う。やっぱり基本的に、几帳面なのだ日本人。

帰りにコンビニに寄って、食材購入。
このところ、混雑の時間帯が読めなくなってきたスーパーにまで足を運ぶのを避けている。
密閉空間にしたらコンビニも同じことなんだろうが、あのレジ前の密集状況はどうにも危険な気がしてしまう*2
缶ビールは腰痛前に買ったものが3本も、手を付けられないまま。さすがにピーク時の腰の痛みに戻ってしまう可能性を思うとこりごりで、まだ開ける気になれない。
地味に痛いのだ。
どこか痛みをかばって歩くせいか、疲れやすいし。
自由に出歩けないという点では不幸中の幸いといえなくもないが、何事も「明日できることは今日やる必要はない」という無気力になってしまって、時間も以前よりは自由にとれるというのにスネアの練習もできてないし、鬱というのではないがコロナのニュースに触れる度に萎える。

反社会学講座 (ちくま文庫)

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*1:日頃自炊をしていないのがバレバレ。

*2:個人の感想です。