「後」の、世界。

自分のことはさておき、他人のことなら客観視しやすいもので。
複数の知人のブログ日記やSNSが、コロナ関連で生活が一変してしまったことに関して、更新頻度が増えたり日に日に長文傾向になってたりして、やや浮足立ってきたように感じる。
元々繊細な文章だったから、俺同様精神的にもあまり強い方ではないのかも知れないが、今の状況で不安にならず平常心でいられたら、その方がむしろ重篤精神疾患である可能性が高い(^o^;

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雨、あがる。


かくいう俺自身、全く不安じゃないかといえばそんなことはなく(この長文!)。
それでも自覚の有無に関わらず、ブログ(やSNS)に漠然とした生活不安を吐き出すことができる俺たちは、まだ恵まれた方かもしれない。
職場周りの人間関係を観察していると、ネット環境の有無以前にこうした言語化のスキルやプロセスすら持たない人たちの割合が、実は思った以上に高い。
こういう人たちの発散できない不安行動が、相次ぐ日用品の買い占め、欠品の流れなんかにも実はひと役買ってしまっているのではないかなどと思ったりする。
まぁ俺も、単に現実から逃避しちゃってるだけかも知れないわけだが。

そんな俺が先日上司から、「阿仁さんはタフだなぁ」とお褒めのことばをいただいた。
別部署からの矢継ぎ早の仕事依頼(要は丸投げ)を、今日もバッタバッタと斬りまくった、という意味で*1
自分がメンタル的に強い、などと思えたことはかつて一度もないので、こういわれたこと自体が新鮮だった。
もっとも今のような状況では、こういうことばをいつも以上に交わしてでもいないと、お互い仕事と向き合えない、というお気遣いもあったのかも知れない。
俺は俺のできることをやるしかないわけで。
職場への「意見表明」も、機会をとらえて。
たとえ誰が考えたって「正論」な内容であっても、聞く耳持たせるタイミングと話し方、というのがあるのも事実だ。
ヒステリックにわめいてみたところで、誰も耳をかしてはくれない。

そう、誰からも具体的な指示など望めない。なので、自分の管掌業務については俺なりに想像力を総動員してみたが*2、ペーパーレスだリモートワークだ、という風には、どうやらなりそうにない。
「全て一度に在宅、はどう考えても無理だとしても、まずは自宅でできそうなことから」
ニュースでの専門家のことばに少し勇気をもらって。
幸い話のわかる今の上司には、有給申請するつもりだった日について「後日成果物の提出を伴えば在宅作業でつけてもよい」との許可をいただいた。ありがたい。

道半ばで死んじゃったら、せいぜい笑ってやってくれ。

人間関係が劣悪だった前の会社では持ち帰り仕事が事後報告になってしまい、20歳代の女チーフに無茶苦茶怒られたもんだったが、当時の俺にいわせりゃ本末転倒。仕事へのモチベーションを奪い取ってどうするよ。というか単に事前相談がなかったことが「上司」たるものの承認欲求を傷つけられたと勘違いしちゃったのかも知れない。すでにお互い、それほど風通しのよい良好な関係じゃなかったはずだが、そこは求められちゃうのね。
だいたいあれだけの仕事量を社員に強いてたくせに、PCを使う作業環境を整備しておきながらたったそれだけの「システム」を創っていなかったことの方が問題だったんじゃ? まぁ個人情報の持ち出しに対する危険性やガバナンス問題があるのはわかるが、そこを調整できてこその「管理職手当」でしょ。
ともかくこの「持ち帰り仕事」を封印されたことが正直、俺の退職を早める遠因、くらいにはなった…逆に今頃、果たしてどーいうことになってるやら。

それにつけても困るのは、この期に及んで「自分だけ特別扱い」を求めてくる人たちだ(往々にして高齢者)。
この種の不意打ちをくらうと、それだけのためにわざわざ出勤、なんてことにもなりかねない。
このご時世にふたつ返事で引き受けちゃうのも、管理職としてどうかと思うが。
ということで昨日も1件、丁重にお断りさせていただいた。
時短に加えてマンパワーが限界なところにこれ以上、至急案件を増やさないでいただきたい。アンタへの仕事だけが至急案件なわけでもないので、そこはぜひとも平等で。

そういえば「はんこもらいに命がけで出勤」なんてニュースの見出しもあったが、だいぶ混雑は緩和されたとはいっても朝ラッシュ時の一斉移動に比べれば、昼間での電車移動の方がかなり感染リスクは低いだろう*3
某病院での院内感染のニュースでは、恐らく電子カルテに使っていたタブレット端末が職員感染の原因だったとかで、医療現場の方たちが互いに目を配っているプロの現場ですらもこうなのだから、我々素人にできることといったら不安にかまけてどんなに想像力を逞しく焦ってみたところで、手洗いうがいの励行とマスク着用、外出の自粛。いわれたことを細く長く続けるくらいが関の山だ。
その上で、こうしてニュースで報じられる具体事例を注視しながら、自らの行動を逐一見直す学習をしていく、くらいのことでしかない。

肉眼で見えないはずの微小ウイルスごときで、こうも簡単に人間社会が壊れる。
見慣れたはずの街の光景までが、大きく変わって見える。
県からの休業要請に入っていた業種なのかどうか、新たに目についたところでは床屋やマッサージ店が休業に踏み切った。
先日一旦はシャッターを開けたパチンコ屋は、「全館消毒作業中」の掲示…もしかして客か店員から「出た」んじゃないのか? などと勘繰ってしまうが、翌日には単なる「店休日」の表示に戻されていた。

従来からの「経済活動」が通用しない。
とりわけ対面のものがダメ。
逆に、何でもかんでもネットを介せば大丈夫、みたいな空気になっているが、ネットだってプロバイダへの電力供給からサーバー機能、ネット回線の維持をはじめとした物理的インフラ部分が、絶対にオチない、などという保証はない。不安を煽りたいわけではなく、第一、ネット環境すら持てない人たちはどんどん生命維持そのものに必要な情報からすら「孤立」していく情報格差はどうする?
ネットは使っていてもSNSには全く興味を示せない俺自身が、実感を伴って感じる「社会の分断化」。

運よく仕事をテレワークにすることに成功した夫は、「仕事の邪魔をするな」という。
妻は一日中顔を突き合わせていなければならなくなった配偶者に、いつもカリカリしている。
学校に行けない子どもたちは、そんな両親の様子に敏感に反応して、うんざり気分でスマホ・ゲーム漬け。
そんな家族の気分転換を兼ねてスーパーへ必要最低限の食糧買い出しに行こうとすれば、「家族連れで来んなよ密集迷惑」*4、だし。
旧来からの「家族」という概念、生活形態の維持そのものが、現代にはもう「そぐわない」とすらされているような世相。
ソーシャル・ディスタンス=「社会的」距離なんていうことばまで出てきた。
血縁者間といえど「2m以内には近寄るな、近寄れない」、それがもはや現代社会のスタンダード。

独り暮らしの俺、最強じゃん(笑)。
と、潔癖症が高じて「積極的独居」を選択する若者も、今以上に増えてしまうのではないだろうか。
今回の騒動経験は、今後の人間関係の在り方にもある種、長い影を落としそうな気がする。

一方で。
世界の感染症最前線を渡り歩いてきた医師のインタビュー。
まだ非科学的な考え方が中心だった時代、ペストの大流行が教会の権威を失墜させて、「中世」という歴史が終わったという歴史の解釈。教科書で習うような「現象」じゃなく、大局的な角度から歴史を見直すのはとても興味深い。
この難局を切り抜けるには、「希望を持ち続ける」ことだそうだ。
現場の医療従事者から、「希望」などという文学的なことばが出てくるとは思わなかった。

正しい情報は、自分の身を護る盾。
自分の思いを正しいことばにできる力は、鉾。

近い将来、生活が平時に戻れたとき。
5年後、10年後に振り返ったら今回の騒動をきっかけに、民主主義が、資本主義そのものが、実は形を変えていた、あるいはまったく違うものに化けていた、なんてことがあるかも知れない。
日本だけでなく世界中で、今よりも人間ひとりひとりが、より暮らしやすくなる方向で…。
そんなことを思ってみた。

*1:時短になったので、いつも以上に基本、どういう難癖をつけて断るかなんだけど(笑)。

*2:今ほどの切迫感こそ伴っていなかったが、実はコロナ騒動以前から考えていたことのひとつ。

*3:個人の見解です

*4:一部ネット上でのご意見