下書き。

同じような物語を、もう10回以上、飽きることなく繰り返し観たり読んだりしている。
自身が思春期にあって達しえなかったことに対する「羨望」というようなものかも知れないし、
もしかしたらすでに何らかのビューキなのかも知れない。
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ほんとコレな。


夫婦仲があまり良好でないという職場の上司は、俺よりも勤勉に会社に出てきてはよく愚痴る。
家に身の置き所がない、といわれても正直、結婚したことがない俺に相談されたところで応えようがない。
先週、自慢の愛車の車検を済ませたという話を聞かされたばかりだし、
自家用車という「翼」をもっているのだから、どこまででも出かければいいと思う。
海でも、山でも。俺だったなら。

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なんかじわじわくる…。
家を出たくて仕方がなかったあの頃は、週末休みこそが憂鬱で、行先も目的もなくても電車に乗っていた。
お陰であっという間に路線図とその景色が全て、自分のものになった。
今にして思えばそれも、線路の上から眺められる景色だけで、決して線路を外れる自由が保障されたものではなかった。
いつの間にかそんな自由への渇望もすっかり忘れていた頃、急に仕事の都合で家を出なければならなくなった8年前、
自由に、遠くへ
行けたわけではなかったが、独りになることには成功した。

高校生の頃、友人と夢中になって読んだ漫画の主人公が乗っていた車に憧れた。
ずっと夢だったが、免許すら取ることなく今の年齢になってしまった。
今さら免許を取ってみたところで、「夢を叶えた」と大仰に吹聴するにはどうせあとわずかで免許返納だ。
それ以前に、ただでさえ人並み以下の運動神経が加齢とともに落ちてきているので、実技試験に合格できる気がしない。
そんな実現に向かって何の努力もしてこなかったことを「夢」と呼ぶのも、なんだかおこがましい。

40年にも亘る「熱病」、その目覚めは突然やってきた。
こうして音楽への歩みを止めた途端に思い出す、他にもいくつかあった「夢」。
どこかで持病を意識しながらの俺では、到底手が届かないだろうと思い込んでいた。
その時々で自分にできることはやってきたじゃないかと、今は思うしかない。
皮肉なことにはいつの間にか、病を意識しないで毎日を過ごせるようになっていて、
渦中にあったときはあれほどまで渇望していた「未来」は、たどり着いてみたらただただ、ひとり静かに立ち尽くす荒野だった。
何もかもが遅すぎた、多分。
それでも。
恐らく人生最後の「努力」をしようとしていた
その矢先に降ってわいた、100年に一度の自粛生活。
全ての気持ちが割り切れず、何も答えを見つけ出せずに宙に浮いたまま、行き場を失っている。

ねぇ、それでも人生は意味あるものだと思うかぃ?
それとも人生ってみんな、この程度のものなのか?
(…どうやら悪酔いしてます)