諸々の、その後について。

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ちが、出ましたよ!

相変わらず身辺が取っ散らかってしまっていて、だからなのかそもそも疲れているからなのかはわからないが、感受性が上がってしまっている自覚があり、それ自体は珍しいことでもなかったものの、初めてこれがHSP気質に関連づけて認識できた。
いつものようにこうして文章にまとめようと思っても、「出来事」が多すぎて受け止めきれていない。小さくパニックを起こしているようだ。
今回直接のきっかけは、職場周りで以下に書くこととは別にショッキングな出来事に遭遇しちゃったことなのだが、そう遠くはない未来のことでまだ公表できない。そのときが来たら、この場でもご報告することになるだろう。


そんな状況だったからなのか、久しぶりに腰痛をやった。
特に無理をしたわけでも、明らかに捻ったりというわけでもないのだが、日に日に痛みが増してしまい、身体の方が拒否反応を発動した結果、と思えなくもない。
動けないでいた間の気の持ちようは、年々シンドくなる(今は普通に動けている)。

波乱の2020年、その10月が終わる。
ここ毎年お招きいただいて演奏してきた本厚木レストラン匠の、幻となってしまった開店「8周年」記念パーティが去年の思惑通り今月開催されていれば、今年は個人的事情でバンドでの参加は不可能なのははっきりしていたので、弾き語りの数曲でも持参してはせ参じようかと思ったのが実は、電子ピアノ購入の直接動機だった。去年の今頃のことだ。
ご存知の通りコロナウイルスの猛威により、お互いそれどころではない状況だが。
所詮は幻の、「ピン芸人」(笑)デビューであった(まぁ練習をはじめいろいろと、全然間に合ってなかったけどな)。

ここ1年ほどの、何の予定もない休みの日の過ごし方は経験上「おのれの右脳の命じるままに」が基本スタンスなのだが、興味深いのは、このように生活時間を野放し状態にすると、意外と勝手に「秩序化」するのを発見したことか。
別に仕事が忙しいわけでも、疲れているわけでもないのに、頭が勝手に職場でのあれやこれや特定個人の行為を思い出し始めると眠れないので、アルコールで自身の鋭敏な感受性を多少麻痺させてようやく寝付く毎日だったが、翌朝はもれなく二日酔いで怠いので、休日の場合起きるのはだいたい12時少し前だ。
窓の外の天気が悪いといつまでも目が覚めないし、天気がいいと憂鬱な気分になる…外出したいと思っていても、行先や今日一日の「予定」を組むのすら億劫だ。
しかし内服薬の関係で、と自身にいいわけをして、朝昼兼用の食事は近所のスーパー内のパン屋で買う。
昼にしてもピークは過ぎていて、9席しかなくなったスーパーのイートインも空いているし、天気がよければ中央公園のベンチまで歩くこともある。
これがほぼ正確で、13時頃。
それから気が向けば外出するし、いくつかのお決まり買い物スポットを回ったり、日差しが暖かければ公園でぼーっと家族連れのじゃれあう光景を眺めたりして、16時までには部屋に戻って缶ビールを開け、お気に入りの音楽を聴きながら酔いに任せて少し眠る(何時間寝てるんだよ俺っ!)。
もう完全にこれは、定年退職後の生活だ(笑)。

完全に無気力かというとそうでもない。
平日は出勤すれば、低血圧なはずの俺が、上司が目を見張るほど午前中からフル回転で働いている。
もう2年ほども続いている時差出勤で早朝から会社にいるため、その日の仕事の段取りは既に頭の中で何度もシミュレーションされており、その通りに動こうとしているだけだ。
ただ、俺が持たされているのは今のところ回収を免れている旧社屋の鍵だけなので、社員の誰かが出勤して開錠してからでないと自席にすらたどり着けないのが理不尽(従って早朝出社はしていても、必ずしも仕事をしているわけではないし捗っているわけでもない)。

その職場での、諸々の「その後」については、ここらで一旦まとめておく。
そういうわけで俺は早朝シミュレーション通りに「動こうとしている」わけだが、自席に辿り着くともう毎朝、想定外の書類の山で。
件のチーフが俺の机上に書類を持ってくるのが、余程俺とは顔を合わせたくなくなったのだろう、必ず俺の退勤時間以降(か俺が自席にいない隙)になっているためだ。
そういうわけで午前中の俺は、自身の仕事の段取りを邪魔された怒りを原動力に、ひたすら手を動かしている、というのが実情。
もうここ何年もやっている手慣れた仕事ばかりなので、やっかいなものは混じっていてもクリエイティブでもないし、スキルアップが見込めるようなものでもない。
これら書類の到着が丸1日後ろにズレ込んでいるわけだが、他ならぬヒラでもなく「チーフ」の肩書のある職員サマがそれで問題なしとご判断されているわけなので、そのことで何らかの遅延やロス、不具合が発生しようとも、もとより俺が責任を負う話ではない。
顔も知らない他部署の人間がたくさん関わるような案件ならともかく、こんな零細企業で縁あって自分が関わった仕事の「結末」(進捗)がどうなっているのか、もはや自分の手を離れていても興味くらいは持つのが正規職員サマに相応の「責任感」だと俺は思うのだが、頑ななまでにもう何年も同じやり方を貫いていて、毎年(外部からも)同じクレームが入るとゆー…お陰様で、どんなに俺が頑張ったところで業界内での我が社への評価は、一向に浮上しない。
相変わらず自分の手元の仕事が片付けばそれでいいと思っているらしい。
いいよなぁ、俺もそういう仕事のやり方なら、ぜひとも見習わせていただきたい。

今週は某プロジェクトの完了報告に関する書類が、ウチの上司がつついてくれたお陰でようやくこちらに戻ってきたのだが、日付を見ると一番早いものは19日に終わっており、1週間以上も齧歯類よろしく抱えたままでいたらしい。もはや俺には理解不能
何かのカードゲームでも楽しむみたいに、手元に全てが揃ってからでないと俺に申し送りができないとか、何か特別ルールでも設けられていたのか。
これが俺だったら、書類は紛失が一番怖いので、自分がファイリングまで手掛ける「アンカーマン」の役回りならともかく、一瞬でも長く手元に持っておきたいとは決して思わないものだが。

ともあれ今日の今日になっていきなり、60通以上もまとめて突っ返されても、こちらも困るのだ。
同じ仕事も時間に追われて処理すれば、つい確認もおろそかになってしまい間違いの元になる。
それより、これから一斉に処理しようとすると丸一日(以上)かかるボリュームなので、俺が今日予定していた他の仕事が全て止まった。
本当に毎度、他人の仕事の邪魔しかしてねぇよなコイツ。
日頃から仕事への責任感は得意気に説くくせに、「他人の仕事はクソ扱い」な仕打ちばかりだ。
数年前俺に、インフルエンザを圧して出勤してきたバカ社員を賞賛してたのも実はコイツだ忘れてねぇぞ。

俺から一度失った信頼を取り戻すのって、俺自身がいうのもなんだが割と容易なことじゃないぜ。
HSP気質な俺の記憶に一度、深く刻み込まれてしまったら、俺自身にもそう簡単に拭い去ることができない。特に今のようなメンタル状況だと自身のメンタルではあっても正直俺にもコントロールしきれていない。
メールの件」以降の俺は、今週のコレを除くとここ半月ほど、こちらの都合無関係に声をかけてくるヤツがいなくなったせいか、定時30分前にはその日の仕事に目途がついており、それからPCデータのバックアップをきっちり取って定時退社、という平穏な毎日が続いていたのはなんとも皮肉なことだ。誰が俺の邪魔をしていたかがもう、明白じゃねーか。

先週、このバカチーフと組んでその「完了報告」のための仕事に八面六臂の活躍をした(と思しき)「新人さん」改め「コツ骨さま」の方は、優雅に有給を使って今週ここまで一日も出勤なし。
いよいよ、転職活動でも始めたか。
前の職場を離れた理由が今回と同じ、自覚ない自身の身の処し方によるものでなければいいが、と思う。

先週提出されていた休暇届の許可印はなぜか全て上長のものとなっており、これにはさすがに温厚な上司も
「俺が上司だと思われてないな。これだけ露骨にやられたんじゃ、机も作業台に戻すか…」
と俺と同じことを考えておられた様子。
このシマに机1個入れるために、俺と上司が日常業務の合間でどれだけ苦労したと思ってるんでしょーね。
40オンナが自分で勝手に所属替え、とか…呆れを通り越して感銘を受けてしまった。
俺がこの上司の立場だったら有給になんかしてやらない。ただの欠勤扱いだ(そも許可印が無効なんだから、当たり前だろ)。

注目の金曜ご出勤は朝、タイムカードの打刻に寄り付いただけで、ついに自席には一度も来なかった。
それにしてもノートPCすらもはや自席になくなっており、いったいどこに置いているのやら。個人情報は入っていないとはいえ、パソコンごと盗難、なんてことになっても俺は一切関知しない。
どうやら旧社屋の共用PC前を新たな「自席」に定められたようで、それなりの作業負荷ではあるものの2か月に一度しかない専任業務に入った、というアピールがしたいらしい。
しかしこれまで自機であるノートパソコンを使用していた作業で、俺の知る限り別に、共用PCで作業をする必然性はないはずだが(というか「共用」PCなので占有されるとはなはだ迷惑)。

ミニラも大変残念なことに、新型肺炎に罹ることもなく相変わらず元気だ。

俺はこのところ、腰痛で自室にいた際も習慣だったラジオ番組を聞く気力すらなく、従ってTwitterも放置状態が続いている。
どうせ既婚者の既婚者による既婚者のための…過去の体験談やら夫婦円満の自慢話やら子育ての苦労話とか…今の俺には何の役にも立たない情報としか聞こえてこない。
こうして外社会への興味・関心が急速に薄れていく。

これが「鬱の入り口」というものだろうか?
自分のためだけに生きることに、すっかり疲れてしまったらしい。

年齢的にもここ数年が、人並みの自己肯定感を持てるかどうかの最後のチャンスだろう。
これでダメならもう一生、変われない気がする。
しかしこれまで使ってきた「自身を変えるための手段」は一切ドブに捨ててしまった今の俺に、他にどんな方法があるのか、今は見当もつかない。
いつもにも増して優柔不断になっていることが、思考が混乱している証だ。
自分で決めて(行動して)いる、という手ごたえが薄い。

もういっそ、働かないで食っていける方法は何かないものか。
今の仕事をこの先何年続けたところで、スキルアップも昇給も見込めないし。
親の世代にはあったような余裕のある暮らしや将来像なんか、もう何をどうしたって見込めないのだ。
どうせ変わらないのなら、少なくとも偶発的な事故や病気で寝たきりになってしまう前に、早く「終わって」しまえとすら思う。
そういえば人間は自分で死に方を選べる唯一の動物なのだった。
さて、何歳まで生きようかね…。

まぁメンタルがオチてるときの自分は毎度、こんなもんだが。
今のところ生活能力そのものにまでは悪影響を与えていないし、結局いつも通り、気力持ち直すときまで、こんな自分を自由に泳がせておくしかなさそうだ。