それは「今日」やるべきことなのか。

この時期、俺の憂鬱気分に拍車をかけるもの。
最近は市民権をあげてきたハロウィーンとクリスマスに挟まれて、すっかり相対的地位が陥落している、ハロウィーン翌日の自身の誕生日。
珍しく日曜ということで、例年のように有給申請しなくてよい(休む気満々…だったわけだ)。
が、ちょっと損した気分。
わざわざ出かけてみたところで、観光地も繁華街も今やすっかり元通りな「経済活動」で、どこもかしこも人だらけな想像しかできない飛び石連休の始まり。ツマラン。
今まさに俺が向かわんとしていた地元・中央公園のお気に入りのベンチですら、目の前で家族連れに占有されちゃったところだ。
所詮人生は、早い者勝ち。

ともあれ10時半を回っての起床はこれでも、ここ最近の俺の休日としては早い方だ。
ラジコで先週聴きそこなったラジオ番組を聞きながら、朝食を摂る。


昨夜は一晩中布団の中で、東武線経由での宇都宮までの車窓をアタマの中で反芻していた。昨年、自らの演奏を控えてミヤジャズへ向かった道中のことだ。
折しも個人的に思い出がいっぱいの「ミヤジャズ」が、大幅に規模を縮小しつつも実施する運びとなっていた。例年同日開催の餃子祭りこそ一足先に中止決定に至ったが。
記念品的なモノ、ではなく、とても久しぶりに、自身に生演奏の興奮を、というのは、我ながらいいアイデアではないかと思ったのだが、さすがにこの時間からでは到底、間に合わないな。
まぁ特にお目当てのバンドがあったわけでもないし。
加えて、現地・宇都宮にその大半の費用がオチないで道中の交通費に持っていかれるのも、なんだか癪だ。
心の準備が間に合わないのに駆けつけても楽しめない気がするし、遠路出向いて会場入り口でマスクだ検温だ入場制限だ、というのも想像するだに、何だか鬱陶しい。
と一転、行かなくて済む理由を探し始める俺の頭。
最後の決め手にとすがった(宇都宮の)天気予報は、土日で大きく差がなかったが。

…そこまで思い詰めてたんだったら行っちゃえばよかったじゃん、ミヤジャズ。
今日は一日中曇りで、これといって派手な夕日もなくじとっと暗くなってしまった夕方になって、猛烈に後悔。
今頃はこの暗闇の中を、久しぶりの生演奏に触れた達成感を抱えてひたすら千葉を目指して電車に乗っていたはず、だったのに。
まぁ腰痛はまだ少し痛むしなー。昨日朝からは、喉にもぽちっと痛みを感じる部分があって気がかりだ。
ただでさえ俺には、風邪をひきかけている時に限って活動的になる、という悪い癖があるらしいのだ。

金曜日、職場で雑談の流れから上司に、そういえば明31(土)は今月2度目の満月「ブルームーン」だそうですよ、と話を振ったら、一昨年ご結婚されたご子息のお誕生日で、奥様が仕切られて何やら企画されてるんだそうで。
その翌日が俺の誕生日なんですよ、という話を切り出すタイミングを逸してしまった。というか別にお伝えしたところでどうという情報でもないが。
俺は日頃から褒められ慣れてないせいか、自身がこういう場で「おめでとう」などといわれると、どういう反応をしていいのか未だにわからず、その度に落ち着きを失ったようになってしまう自分が心底嫌いなので、これまでもできるだけ自身の誕生日はスルーしてきたし、親しい人たちのソレもいつのまにか同じように扱ってきてしまった。
この話を伺っているときの俺も、さぞかし興味なさそうに見えちゃったことだろう。

13時頃、近所のスーパーのイートインでいつもの昼食。
さすがに朝食との時間が近づきすぎたせいか、やや胃もたれ(昨夜のビールのせい?)。
レジは俺の知る限り一番手際のいい、というか俺との「間合い」が正確な「こばやし」さん(仮)で、
レジ打ちしている間に、俺が鞄から持参したレジ袋を出すと
丁度レジでは合計額が出ていて支払い。
レジからつり銭が出てくる間に、商品に清算済のシールを貼る。
俺が持参したレジ袋へ詰め終わるのを見計らって、レシートとつり銭をカルトンで差し出す…。
レジ前を立ち去る際に
「いつもありがとうございます」といわれた。
仕事とは、かくも手際よくありたいもの、さすがだ。

イートインは珍しく混雑しており、食事をしながら落ち着いて今日これからの身の振り方を考えたかったのだが、居場所のないと思しきジジィが3人、「今日は混んでるねぇ」などと口々に言いながら入ってきたので俺は退却することにした。
ああいう老後には、なりたくないものだと思う。

なんとなく足が中央公園に向き、野球場では珍しく球審だけでなくちゃんと塁審までついた「公式試合」をしていて、しかし試合内容は素人目の俺が見てもワンサイド・ゲームだった。
両チームとも選手は中学生くらいの体格だったようだが。
しばらく観戦していくというのもアリだったのだが、ワンサイド・ゲームじゃなぁ…。

この頃には、無意識ながら肩に力の入り過ぎたような自分が嫌になっていて、そもそもたかだか自分の誕生日とか、特別な日に考えすぎだろ。
生まれちまったもんは仕方がないし、何しろこればっかりは、本人の意思でもない。
どうしても何か特別なことをしなければいけないもんなのか? という、やややけっぱちな気分になっている。
恐らく毎度こんな感じ。

一応気になって、ここ数年の自身の誕生日での過ごし方はどうだっただろうか、などとこのブログを遡ってみたわけだが、どうも「コレ!」というものが見当たらない。というか特別なことをした記憶がやっぱり薄い。
自分自身に買った「ご褒美」で覚えている、恐らく一番高価なモノは、数年前のジルジャン・シンバル。
直近で使ったのは昨年11月の「東中野ろまらくだ」ライブでの「Bohemian Rhapsody」、そのエンディングのドラ代用。すっかり腰が引けてたジャーマネ嬢を口説き落として無理やり叩かせたもので、俺自身が叩いたのはもっとずっと前だ。長いこと使ってなかったなー(今後も使う予定がないが)。

誕生日といえば、「祝う側のためにあるもの」とは、今となっては誰からのことばだったのか忘れてしまった。
まぁ本人のため、というよりは、「お父さんお母さん、産んでくれてありがとう」な日、なんだろう世間一般的には。
親不孝の限りを尽くしている(現在進行形)俺は、未だにこういう感謝の気持ちが自然と湧いてくることはないんだが。
むしろ、生きてるって面倒くさい。
遅れてきた「親離れ」というよりは、「ヒトデナシ」になりつつあるな、俺。

それでも夕食の買い物から部屋に戻る途中、工場直営の洋菓子店で1個だけ残っていた*1モンブランプリンアラモード」¥180也を買って帰ったのが、今日唯一の俺の「誕生日モード」か。
戻った部屋で缶ビールを開け、ここ数年すっかりお決まりになってしまった、大橋トリオ「生まれた日」を聴きながら酔いに任せて寝てしまったのが18時頃、次に目が覚めたときは19時を回っていた。

夕食は、これも昨年廃業しちゃった定食屋の焼肉定食が望むべくもないので(あたりまえ)、近所のスーパーで牛カルビ弁当を買った。
なんとも安上り、というか安っぽいな俺。
このささやかな夕食中に、父から祝いの電話をもらった。
開口一番、仕事中に出産の連絡が入って駆け付けたという俺の誕生当日の話、をされてもなー。
俺には経験がないから、全くわからんのだよ(><)
俺の今の年齢の頃は、父自身はどういう職場環境だったのかについても少し話したが。
俺の方は仕事がやりがいなどではなく、社会に対する責任感みたいなものもはぐくみ損ね、
去年より1円でも給料が上がったか?
物価の方が下がってくれて、生活が楽になった?
人間関係は広がったか?
難しい仕事のひとつでも、難なくこなせるようになったとか?…

…やっぱり浮かれる気分になんかなれない。
なんか却って、情けない気分になってしまった。
そんな現実と向き合う勇気のない億弱者の俺本人はもう、自身が何歳だろうが何歳になろうが人間的な成長などとも無関係だし、改めて「どーでもいいじゃん」、な気分になってしまうのだった。

夕食後は、改めて缶ビールを買い足しに行こうかどうしようか散々迷っていたが、何の気なしに「ボヘミアン・ラプソディー」のDVDを見始めたら止まらなくなり、結局最後まで見てしまった。
バンド活動とすれ違う音楽性と、募る孤独感との闘い…何かと身につまされる内容。
ひと通りのエピソードを通り抜けた先のライブ・エイドのシーンで歌われる、会場一体になっての「We Are The Champions」では、何度観ても泣いてしまう…これが音楽の力というものだろうか。ひとりでよかった。

次のアクションを起こす際、いちいち「それは今日やるべきことなのか」などといつもよりもモタモタしていたもんだから、あっという間に23時を過ぎてしまった。
明日の出勤に備えて、慌てて風呂に入った。

なんでもトルコで大地震があり、現地が大変なことになっている。
(生きてるだけでめっけもん、というご神託か)

*1:今の俺みたいじゃねーか